どう防ぐ「振り込め詐欺」

 

 振り込め詐欺が世を騒がすようになって久しいが、いっこうに亡くなる気配がない。少なくなるどころか、増加傾向にさえある。テレビなどのマスコミを通して被害の実態や防止対策について、うんざりするほど繰り返し報道されているにもかかわらずにである。

 テレビを見ない人に対応するためか、街の防災放送でも繰り返し、振り込め詐欺に遭わないよう呼びかけている。おそらく、振り込め詐欺について無知な人は誰もいないことだけは確かであろう。それなのになぜだまされ、しかも被害は増加傾向にあるのはなぜだろうか。

 防止対策として、日頃から親子で暗号を取り決めておくとか、家族しか知らない飼い犬の名前を聞くなどが言われているが、ほんとうにそうだろうか。だいたい、いざというとき気が動転してしまい、早く何とかしなければとあせってすべて忘れてしまうのが実態ではなかろうか。それに、自分だけは大丈夫と思っていたひとさえも被害にあっている実態をみると、通り一遍の対策では役に立たないような気がする。

 振り込め詐欺は最初は「オレオレ詐欺」と呼ばれていたが、呼び名を変えようとして、一時「お母さん助けて詐欺」としようという話があったが、現在は「振り込め詐欺」や、最近はさらに進化して「手渡し詐欺」が一般的であるようだ。そのなかで、一番適切だと私が思うのは「お母さん助けて詐欺」である。何故かというと、母親のいかなる事情にあろうとも我が子を守ろうとする無心な愛情にうったえてまそうとするからである。父親だったら、なぜそんな間違いを犯したのか問いただしたり、意見したりすることもあろうが、母親だったら、ただただ助けてあげたいという気持ちになるのもうなずけることである。

 与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」であり、「岸壁の母」である。

 我が子を助けたい一心から、時には自分の夫にさえ内緒にし、銀行員の注意の呼びかけにもウソをついてまでだまされてしまうほどである。おそろしいことではあるが、それ故に母の愛は、時代を超えて人を感激させる所以でもある。

 そして、だます側としては、どうしたらそのような気持ちにさせるかがカギとなるわけである。あらゆるテクニックを使って電話するであろうが、やはり人間の会話である以上、うまくかみ合う場合も、どこかしっくりかみ合わない会話もあるだろう。だます側としては、その経過ははっきり認識できるはずである。そして、これはツボにはまったという確信が得られたら、あえて手渡し現場に現れるというリスクさえもいとわないほどの確信に変わっているはずである。

 実は、わたしは振り込め詐欺電話に二回経験がある。

 一つ目は、「還付金詐欺」であった。当時はその呼び名はまだ人口に膾炙してはいなかったが、ある日突然、還付金があるという電話に、「ありがとうございます。ところで何が還付されるのでしょうか、医療費でしょうか、税金でしょうか、それはどこへ聞けば内容がわかるでしょうか」と立て続け訊ねたところ、相手はしどろもどろになり、あとで調べて電話すると言って、それきりになってしまった。

 もう一件は、例の「おれ、携帯電話番号が変わった」といいう電話であった。それに対し、「元気がないがどうした。何故変えたのか、いま調子はどうか、何か声が違うが、携帯電話番号変えるという電話は振り込め詐欺の常套手段だ」などと話しているうちに一方的に電話が切られてしまった。

 こちらとしては、だまされないように注意して電話していたのではなく、当たり前な会話をしただけである。人間と人間が電話を通じてコミュニケーションを取るときは、当たり前な会話があるはずである。いまどうしている、あれはその後どうなった、お金を電車で置き忘れたというがいつ、どこで、なぜなど聴いているとどこかしどろもどろになるはずである。そのうちに一方的に電話は切られてしまうはずである。

 久しぶりに愛する我が子から電話があったというのに、お金を振り込む以外の話をしないということが信じられない。我が子の事情をじっくり聞いてやるべきではなかろうか。

 還付金が下りるというのに、何が、何故、どこからかを確かめることなく、ATM操作だけを指示通り行うと言うことが信じられない。

 人間として当たり前なコミュニケーションを取ろうとすれば、だます側とのそれは必ずどこか齟齬が生じてしっくりかみ合わなくなるはずである。そしてそれは、こちらより相手の方がより強く感じるはずであり、しまいには一方的に電話は切られるということになるはずである。