安倍新政権に期待する
今回の衆院選挙に大勝した自民党に安倍首相は自信満々の様子が見て取れる。ひたすら「政権を取り戻す」、「日本を取り戻す」を旗印に戦ってきただけに、達成感につつまれていることだろう。それは、民主党が自民党に大勝した三年余前の光景に似ている。いずれも相手に勝っただけであり、党が国民に選択されたわけではないのだ。特に今回は、自民が圧勝したとは言え、得票が及び得票率が大幅に伸びたわけではないのだ。いずれも大敗した前回選挙とちょぼちょぼである。ただ単に、小選挙区制度により、反自民勢力が分散した結果、小選挙区で自民が勝ってしまった結果である。この小選挙区制は、政権交代が可能な二大政党を育成する目的でできた制度であるが、肝心の二大政党の一翼が分散してしまっては、もう一方が圧勝するのは自明の理である。
そもそも民主党は党の綱領がないことからも覗えるとおり、いろんな主義の寄せ集めであるから、単に自己保身が優先し、国家のためという大義が後回しになりやすい上、政権を担った経験もないから、いたずらに政治主導を叫ぶことになる。「事業仕分け」が良い例である。専門家でもないのに仕分けられるわけがない。原発事故に対しては、素人がいたずらに介入し緊急事故対策の足を引っ張り、しまいには、原子力村の専門家集団に任せたことが原因だと、専門家を排除する事が事故防止には必要だとの世論を煽っている。
またまた大衆受けする世論を煽っている。民主党のマニフェストに立ち戻ってみても、高速道路無料化、ガソリン暫定税率廃止、高校無償化、子供手当とまあ、よくも言ってくれたものだという感がある。単なるばらまきではないか。こんなのは政治ではない。単なる人気取りである。
民主主義というのは所詮人気取りに走りやすいという宿命を有している。古代ローマの時代から、民衆の人気取りのために、「パンとサーカス」という言葉に残っているように、政権は国民におもねる政策を実施せざるを得ない一面がある。しかし、それがパンとサーカスにとどまっていれば良いが、それだけになってしまってはどうしようもない。
外交では脱アメリカ、アジア重視、普天間基地は海外移設など、何の手段もなく、ただ、みんなで仲良くしましょうということがどんな結果を招いたか、尖閣諸島、竹島、北方領土そして、中国や韓国、ロシアの最近の動静を見れば明らかである。
原発問題にしても、原子力専門家を抜きにして、脱原発、卒原発を民衆に訴える。それは外交、軍事専門家を抜きに防衛を訴えることと同じである。戦争反対、話し合いによる解決だけを目指してゆけば、平和が保てるというのと似ている。
国家のためならば、時には戦争も辞さないという考えは危険な右翼思想と位置付けようとさえする。これでは周辺国からつけ込まれるだけである。
原発事故については、ホームページで何回も触れたとおり、ごく簡単な原因によるもので、今後再発防止なんてきわめて容易な事である。それが何故できなかったかは、万一の津波に対して対策を行うことは、危険性を地元に意識させてしまい、即運転停止を要求されることを回避するためであったのだ。言ってみれば、地元の目を意識する余り、対策を後回しにしたのだ。それでも、やはり必要だと決心して、対策を検討する旨を原子力保安院に届け出た翌日に、今回の地震が発生したのであった。1000年に一度という津波に対する緊急性の判断を誤ったのだ。したがって事故防止対策はいとも簡単なのだ。
しかし、世論は、絶対安全だと言っていた原発が事故を起こしたのであるから、絶対安全はあり得ない、あると考えるのは人間のおごりであると説く識者がいる。そしてほとんど一般人はその言葉の説得力に感じ入ってしまう。やはり専門家に任せておいてはだめだという結論である。
ことほど左様に、民主党は専門家を排除し、防衛大臣に素人が就くことこそ文民統制だと言ったかと思うと、後任に田中防衛大臣の「もしもし、、、」である。そのほか閣僚の信じがたい素人、いや子供じみた発言に、いくら未経験とはいえ、顔さえ阿呆に見えてくるからふしぎである。自民党時代も失言や妄言があったが、少なくとも人格が疑われるような事はなかったように思う。漢字を読み間違えたりはあったが、考えてみれば、誰にもあることだし、かわいいものだ。
安倍政権になって本日「日本経済再生本部」が初会合を開いた。このほか「経済財政諮問会議」も民主党時代休会になっていたものも動き出すことになっている。いよいよ専門家の判断が生かされようとしていることが覗われる。
専門家の判断こそ重視される時代が再来することは大歓迎である。専門家は民意を無視するかのように言われることが多いが、民意を詳細に分析するのも専門家の仕事である。ただし、民意におもねすぎることは原発の津波対策未実施のように専門家には許されない。言ってみればそれは専門家の仕事ではない。それは政治のしごとである。その点で、安倍政権の原発対応はバランスがとれている。バックにはしっかりした専門家がついているものと思われる。これこそが保守というものであろう。
保守だから改革が後回しと言うことではない。専門家や日本の各界の持つ力を最大限に活用して、現状の閉塞感の打破や、日本の未来を切り開いてゆくことが求められている。
民主党のように官僚や産業界の現有力を否定することではない。
そんな目で見ると、今回の安倍政権の閣僚のメンバーの顔を見るとそれなりの顔をしている。私はかねがね人間の顔は年齢を重ねると共にその人となりが顔に出るものだという思いがあり、地元のサークル活動などで出会う人も、つきあってみると、ほとんど第一印象そのものだと気がつく。
政治家はいつから先生と呼ばれるようになったのだろうか。きっと昔は、国の政治を任せるにふさわしい偉い人という感じが優先していたのかもしれない。それがいつからか人気取りが主になりポピュリズム政治とよばれ、小泉元首相が発端かもしれない。
その後「、国民の生活が第一」というまさに人気取りだけを目的にした政権が生まれたが、国民は自民党を見限ってはみたが、民主党にもこりごりしたというのが本音ではなかろうか。やはり国の政治を任せるには、それにふさわしい専門家に任せたいものである。