私の社交ダンス

 

 社交ダンスを習い始めて8年目になる。最初、加入したのは、厚生年金受給者協会の社交ダンスクラブだから、全員60歳以上の言ってみれば老人クラブのダンスサークルであった。なぜダンスか問われれば、この年になって女性とふれあう機会をもっとという気持ちもないわけではないが、それ以上に音楽に合わせて踊ることは、フォークダンスであってもとても楽しいことを知っているからである。最近のダンスといえばヒップホップダンスのように、単独で表現するダンスを指すことが多いが、他の人とともに心を合わせて踊ることは、フォークダンスよりずっと、領域が広いし、その分楽しさも大きい。

 社交ダンスは夫婦で参加する人も多いが、私の妻は「とんでもない」ということで、仕方なく単独で参加することになった。

 7年間もやっていると、一通りのステップは覚えた。なんとか踊れるようになると、もっと楽しく踊れるようになりたいという欲求がわいてくる。楽しいとはどういうことかというと、一言で「気持ちが良い」ということである。それは知り合いでも見知らぬ他人でもどちらでもかまわない。気持ちよく踊れればそれが最高である。ところが、それが踊る相手によって全く違うのである。いやで仕方ない人もいれば、恍惚となるような相手もいる。

 大げさにいえば、生半可のセックスより快感が大きいのではと錯覚することさえある。もちろん快感の種類は異なるのではあるが、肉体的かつ精神的快感であることにはまちがいない。私は、今でもギタークラブでギターを弾いているが、大勢の合奏というよりは、二重奏で、他人とピタリと呼吸が合って良い演奏ができたときの快感たらない。それとちょっと似ている。ダンスの場合はその相手が異性と触れ合いながらであると言うことが、快感の深さや神秘性を与えてくれるのかもしれない。

 ところがである。快感とは逆に違和感、不快感の方が勝ることがしばしばである。それが相手のせいだけであれば、踊る相手を選べば済む話であるが、多分に男性である自分のリードの至らなさに起因することがある。いや、その場合がほとんどかもしれない。

 ステップを覚えることに夢中になっていたころは、できた、できないが快感、不快の大部分を左右していたが、一通り覚えると、気持ち良いかそうでないかが一番の問題になる。

 リードする側の私でさえも、相手によって気持ち良さが大きく異なるということは、リードされる側の女性は相手の男性次第で気持ち良さは天と地どころか、天国か地獄かの差があることが予想される。

 私は、最近クラブで聴いてみた。「女性は組んだ瞬間に相手がどの程度かわかるものですか」とそれに対し、その通りだし、それは男性も同じでしょう、とのことであった。それほど微妙であるがまた確固たるものでもあるのだろう。

 なんとか気持ち良いダンスを覚えたいものである。そんなことから、7年間やってきた老人クラブダンスサークルを脱会し、ダンスの基礎をしっかり学びたいという目的で、ベーシックを主体に教えてくれるという、その名の通り、ベーシックダンスクラブに入会した。

     以上