TPPと普天間

 

 現在の日本の課題はまず東日本の災害復旧と原発の事故収束であることは言を待たないが、これについては誰が考えても反対する人はいない。

 しかし、TPPと普天間の問題は、賛否相半ばし、国論を二分するほどの問題になっている。しかし、これを先送りすることは許されない。なんとしても方針を決定しなければならない。また、普天間のように方針を決定しても、地元の反対で実現にみとうしがたたないという問題もある。

 どんなに議論を重ねてもそれによって利害が対立する場合には、永遠に合意はえられないのではないかという無力感にとらわれる。わたしのようにそのどちらにもかかわらない者にとっても、どうすべきかまったく道筋が見えない。マスコミ報道で各分野の識者の意見も様々で、いわゆる正論はないようだ。

 このような問題については国の長期的なビジョンを見据えて、利害得失を超えた道を選択しなければならない。しかし、過去、いや戦後、日本は独自の選択を貫いたことはほとんどなく、外圧によって変革を余儀なくされたことばかりであった。ニクソンショック、オイルショック、プラザ合意、郵政民営化などであるが、どの場合も何とか乗り越えてきた。

 プラザ合意では1ドルが1年後には120円台になり、当時200円を切ると国内企業の半数は倒産すると言われていたものである。また、オイルショックでは第一次で1バレル3ドルが12ドルに、第二次では50ドルに第三次では100ドルになった。それでも日本は現在でも貿易黒字国である。

 いま振り返ってみると、ほとんど実現不可のことを乗り越えてきたことが伺える。現在、1ドルが75円ということで危機だと騒いでいるが、そもそも1ドルは365円だった。その後アメリカのドルは実質的に当時の十分の一になっていることを顧慮すれば、1ドル36円くらいになってもおかしくないはずである。まあ当時は日本復興を考慮した政策レートだったことを勘案すれば、50円くらいが妥当かもしれない。

 このようにマクロでみると、TPPに参加してもそれなりに乗り越えられるのではないという期待もある。

 現在TPP参加に最も反対が大きいのは農業関連である。特に米の関税780パーセントが撤廃されれば、日本の農業は崩壊するという論議である。過去にもバナナ、オレンジなどそのたびに同様な論議がなされたが、それなりに乗り越えてきた。まあ、米は特別ということだろうが。

 最近は、交渉に参加するだけで、その結果拒否という道もあるということを言う者も現れた。その場しのぎというか流れに任せて後戻りできないようにする日本独特の手法だろう。その点では、郵政民営化は政治主導でよく成し遂げたものだと、それまでの日本では考えられないことではあるが、実は、日本の独自の改革ではなく、アメリカの強い圧力の結果であったことは、残念である。そしていま、TPPは郵政民営化のように一部門の改革ではなく、すべての分野でのそれに匹敵する改革が要請されることになることを考慮すれば、慎重にならざるを得ないが、もう避けてはとうれないような気がする。

 言ってみれば社会主義社会を資本主義社会に変えようというくらいの意味を持つ。

 日本は資本主義社会に属しながら、最も社会主義的な相互扶助を取り入れている国だと言われているが、今後はアメリカ並みの格差社会への道を目指すことになる。

 最近ニューヨクに端を発した、格差社会に抗議するデモが大きく報じられたが、やっとアメリカ人も自由の行く末に格差が生まれることを問題化する時代になったのかという、感慨を覚えた。アメリカ人4600万人もの人が貧困により、食料切符(Food Stamp)のお世話になっているという。4600万人といえば国民の20パーセントにも相当する。これまでもどうようであったものが、何故、最近になって、デモという社会的な行動まで広がったかは、ウォール街の金融トレーダー達のあまりに高額な年収が明らかになったというよりは、大学を卒業しても、職にあぶれるとか、ワーキングプアに陥る現象が発生し、そのクラスが行動を始めたということではないだろうか。成熟社会の自由競争を重ねてゆくと、当然な帰結と言ってもよい。

 そしていまTPP参加問題はまさに、その方向を受け入れるかどうかの決断を迫られている。アメリカとしては、自国の自由競争の限界を感じ、どうしても外国、しかも自由競争のまだ進展していない国に進出する必要性が迫っているのだ。だから、中国は参加していないが、もともと自由を期待してはいないのだ。韓国はすでにFTAにより自由化が進展している。狙いは日本にあるのであって、日本はのがれられないだろう。

 日本は、TPPの問題を農業問題に矮小化することなく、食品の安全、医療、社会保障を含め、社会主義的と言われている制度をどうするのかという問題をしっかり論議してもらいたいものだ。

 次に普天間の問題だが、これは、ただただ、鳩山元総理が「最低でも県外」発言が招いた混迷だと言って良い。しかも、元総理はそのための何の努力もした形跡がない。政府内の誰もが知らん顔を決め込み、総理のみが、口を開けば単に「最低でも県外」と言い続けたにすぎない。しまいには、「私には腹案がある」とまで言い出した。すべてが腹案のままだったのだ。それに振り回されたのは沖縄県民である。仲井間知事は当時県内移設容認派であったが、はしごを外されたとはまさにこのことであろう。最近は「県内移設より、県外移設の方がよほど早道」とまで発言している。県内移設は不可能という意味であろう。

 今回は、外務大臣も防衛大臣もそれなりの行動をしているようだから、少しは事情が異なるだろうが、地元理解には相当な障壁がすでに生まれてしまっている。強引に進めれば、おおげさではあるが沖縄独立という話にも発展しかねない状況にある。それほどまでに心情的にこじれてしまっている。心の底には、太平洋戦争の折りのあまりの犠牲の大きかったこととそれに対する、日本国民のあるいは政府の同胞としての感謝と恩義が十分沖縄県民に受け入れられていないことがあるのではないか。いわゆる、沖縄県民だけが犠牲になっているという県民感情にしっかり対応できていないのではないだろうか。この感情にしっかり対応できないと、それこそ独立運動ということにもなりかねない。ロシアにおけるチェチェンみたいなことにならねばよいが。

 最近の中国の行動などを勘案すれば、沖縄を強化することは国家の重要課題だと言うことをしっかり認識して、理解を求めるしかないが、単なる説得では道は開けない事だけは確かなようだ。                  以上