商工ローンの本質
商工ローン「日栄」のあこぎな取り立てがマスコミをにぎわし、あの「めん玉売れ、腎臓売れ」の録音テープがテレビに放映されない日がないほどである。それを見て誰でもがなんとひどいことをいう、絶対に許されないという論調で報道されていて、おそらくそれを知らない人は日本中にいないのではないかと、思うほどである。しかし、これは氷山の一角であって、程度の差こそあれ、どこの取り立て屋でもやっていることではないだろうか。今回も、もしあの「めん玉」テープがなかったらマスコミに取り上げられることもなかったと思われる。
「日栄」の松田社長の国会証人尋問でも、「我が社はボランティアではありませんので」とか「やはり借りたお金はかえすべきではないでしょうか」といって何も悪びれた様子はない。これをテレビで見た多くの一般人は、「たしかにそのとおりだ」と納得してしまう。そして勢い、当該営業マンが一人、極悪非道のレッテルをはられてこれからの一生を生きて行くことになる。妻子はいるのだろうか。日本でそのことを知らない人がいない今後を生きてゆけるのだろうか。
その営業マンにしても、会社の上司から厳しい指示を受け、やむにやまれずにやったことであろうに、かわいそうな話である。報道によると、上司に土下座してクビにしないようお願いするような状況であったそうである。同じサラリーマンとして胸が痛む。
サラリーマンにとって上司の指示は、戦争における上官の命令、オウム教団における麻原の命令のようなもので、拒絶することは難しい。命令とあらば、人殺しさえする人間にとって、きびしい言葉は使うなという道徳を説いてもなんともむなしいことか。それでなくても、世の中は競争至上主義で、能力の高い者だけが生き残ることができる、という価値観が席巻している。取り立て屋の営業マンも、保証人の立場をよく理解して、取り立てを免除していたのでは、単に業績が落ち、会社もクビになり妻子が路頭に迷う現実が目前に控えているわけである。 そんな見方をすると、この営業マンも被害者ではないかという気がする。
しからば、この商工ローンの本質はどこにあったのだろうか。報道では、松田社長名義の資産は3000億円を越えるそうだ。会社利益のほとんどを個人の資産に組み入れていたのだろうか。それにしても3000億円とはあんな老人がこんな大金をどうしようというのだろう。お金はどんなにあってもありすぎることはないとはいえ、3000億円は残りの人生で使い切れない。子供に相続といってもそんなにはいらない。むしろありすぎることは子供のためにはあまりよくないことの方が多い。いずれにしても社員を犠牲にしてまでやることではない。
すると、自分のためでも、子供のためでも、ましてや社員のためでもないとすると、何のためだったのだろう。
それは、国のためだったのではないだろうか。
日本は3つの過剰といって、雇用、設備、不良債権が過剰といわれているが、今、国をあげてこの3つの過剰を減らして経済再生をはかろうと躍起になっている。雇用の過剰にはリストラで、不良債権の過剰には公的資金を、それでは設備の過剰にはどうするかといえば、倒産しかない。特に日本の製造業はほとんど中小企業が支えているといわれている。大企業の製品の部品はほとんど中小企業が供給する産業構造になっているわけである。したがって、過剰設備の縮小というのは日産自動車の系列企業の整理を見るまでもなく、中小企業の整理を意味する。ところが、日本の中小企業は、超円高時代を乗り切ったように、大変我慢強く耐える力があり、不景気になったくらいでは、そう簡単には倒産しない。じっと耐え忍んでしまうため、倒産しない。また、互いに譲り合って、苦しい時代を乗り切ろうとする助け合いが機能する構造になっている。これこそが日本を世界一の経済大国に導いた、他国にはない特質であることを疑う人はいないと思う。
こういう構造では生産設備の過剰を整理することは至難である。
そこで考えられたのが、中小企業の命綱ともいうべき、つなぎ資金を断つ方法であった。中小企業は材料を購入して、親会社に納入してもお金は入らない。親会社だって、それを組み立てて、販売して、初めてお金が入るので、その間はつなぎ資金でしのぐのが当たり前だった。ところが、銀行の貸し渋りが横行して、つなぎ資金が借りられなければ、たとえ高利であっても商工ローンに頼るしかない図式ができあがる。「日栄」の場合、37%だったという。きびしい親会社のコストダウンのしめつけで、利益率が極限まで低下しているところへ、つなぎ資金だけで年37%もとられてしまっては、倒産しない方が不思議なくらいである。 貸し渋っていた銀行がちゃっかり商工ローンに融資していたというから、これはもう国をあげての中小企業倒産大作戦だったと思ってまちがいない。
中小企業の見方ではなく必殺仕事人だったということだ。
倒産させることが目的ならば、倒産後の設備を整理して債権を回収するというのが、正しい倒産のさせ方なのだが、そこで行きがけの駄賃にとばかり、根保証という秘策を採用した。倒産者ではなく、保証人から保証額を越えて取ろうという秘法であり、こんな秘法がロシアやアルバニアではなく、現代日本で起き得ることが不思議なくらいのことであった。この種の秘法の常として必ず政府高官がしかるべき恩恵に浴している。
そういうお墨付きがあったからか、国会の証人尋問に立った松田社長のなんと堂々としていたことか。豊田商事、リクルート、オレンジ共済、住専などどれも同じ構造である。これらの事件がある度に、ある種の人たちのところにどっとお金が流れ込むことになる。その過程で多くの被害者が産まれるが、その被害者は必ずしもお金を取られた人ばかりではないのが、何ともやりきれない。
バブルのころ、「新宿の資産家老女殺さる」という事件があった。新宿におんぼろの自宅の宅地50坪に50億円の値が付き、それをねらわれて殺されてしまったという事件であるが、お金を欲しがった訳でも、売ったわけでも何でもないのに、本人の知らないところで値が付けられ、それををねらわれ殺されてしまうなんて、何という理不尽。
マスコミにも責任がある。ただ、「めん玉売れ、腎臓売れ」のテープばかり流して、何というひどい営業マンだという報道ばかりでなく、なぜ、そうなったのかを追求しない限り、問題の本質がぼやけて、再発防止にもならない。
それにつけても、あの営業マンの今後の人生を思うと、胸が締め付けられる。 それほどまでしなければ、生き残ってゆけないほど日本は貧しい国なのだろうか。落語にでてくる長屋の熊さん八っつあんが、「宵越しの金は持たねえ」などと粋がってた、日本の文化はどこへ行ってしまったのだろうか。