福島原発非常時防災対策

 

 3月11日の東北関東大震災の影響で、福島第一原子力発電所は壊滅的な被害を被った。地震にも津波にも十分な安全対策が施されているはずであった。しかし、想定を超える地震と想定を超える津波が発生したためとされている。地震に対しては震度7とはいえ、観測された震度は0.5Gで十分想定震度範囲内であった。したがって、原子炉の緊急邸装置は正常に機能して、制御棒を炉心に挿入して、原子炉は正常に停止した。

 一般の国民は(政府を含めて)以上の動作に全幅の信頼をよせてこれまで原子力開発を推進してきたのではないだろうか。もっと大きな地震でもここまでの動作は安全に動作することが確信できる。確か、電源が喪失していてもバネの力で制御棒が挿入されて原子炉は安全に停止できるはずである。そのあとどんな大津波におそわれても原子炉は停止しているので、原子炉と原子炉格納容器内に、核燃料は封じ込まれて、安全は確保されるはずであった。

 ところが実態はちがった。大津波(想定を超えたとはいえ、10mそこそこ)の海水が発電所構内に流れ込み、電源設備や非常用ジーゼル発電機を使用不能に陥れた。しかし、電源喪失したとしても原子炉が安全に呈しておれば、復旧など時間をかけてゆっくりやればよいのであって、どんな大きな津波にも耐える設計は過剰設計になるので、過去最大の津波に少々の安全率を見込んで設計することは理にかなったことである。しかしそれもすべて原子炉が安全に停止するという条件の上でのことである。

 今回の震災においては、ここまですべて正常であった。

 しかし、すべての災害は実は原子炉が安全に停止した後に発生した。原子炉が安全に停止したあとも原子燃料は崩壊熱を出し続けるから、水冷却しなければ、原子炉がメルトダウンする恐れさえあるという。そんなことを知っている人は原子力の専門家だけであろう。私も原子力の講習やらいろんな資料を目にしたりしたが、全く初耳のことであった。

 もしそのことを知悉している人が設計するならば、安全に停止すると言うことは、制御棒を挿入までを停止ではなく、原子炉冷却までを停止と考えるべきであった。

 冷却ポンプはおそらく100kwを超える大型であろうから6000ボルト高圧電源が必要であるし、それを監視制御する電源の直流電源のバッテリー電源も必要になる。

 従って、常時系統とは別の電源線(東電営業管内ではないため東北電力)から予備電源として受電可能としたり、予備ジーゼル発電機やバッテリー設備は発電所の高所に設置するなどの対策は必須である。

 ところが実態は、東北電力からの受電は震災後一週間くらいからやっと着手したり、予備ジーゼル発電機やバッテリーは地下室に設置されていたらしく、したがって津波が発電所に浸水を始めると真っ先に水没することが決まっていたのだ。いくら想定外とはいえ、いざと言うときに真っ先に浸水する場所に設置するとは信じられない。

 また、そのジーゼル発電機は水冷式であったため、その冷却水ポンプが屋外に設置されていたため、真っ先に津波にさらわれてしまった。5,6号機では3台のジーゼル発電機のうち1台が空冷式であったためかろうじて耐えた。また、福島第二では冷却水ポンプが小屋の中であったため助かった。

 同じ太平洋岸に立地する浜岡原子力発電所では津波対策として考慮の上、もし万一想定外の大津波におそわれても、予備ジーゼル発電機収納小屋の扉にパッキングを取り付けて海水の進入を防止する対策を施している。それでも万全ではないかも知れないが、設計思想としては正しい。

 さらに、使用済みの燃料貯蔵プールも冷却し続けなければ、水は蒸発してしまって、水面から露出すると、その崩壊熱と水が反応して水素爆発を引き起こすという。4号機では一年以上前に取り出した燃料プールの水が蒸発してしまい、水素爆発を起こしてしまった。

 一年以上前に取り出した燃料の水冷却が停止すると水素爆発が起きて、周辺に放射能をまき散らすことなど、誰が想像しただろうか。それは決して想定を超える津波におそわれたからではない。それは所内電源喪失の影響を軽視した結果である。

 たしかに設計条件はある非常時の現象を想定せざるを得ないが、原子力発電所においては、安全に停止するばかりでなく、安全に冷却するまでを停止とし、それは設計条件に関係なく停止は確保することが保証されなければならない。

 津波の最大を5mと想定していたが、それ以上の津波がきたので今回の災害が発生したとは何とも情けない。

 わたしはこれまで、原子力発電所の予備ジーゼル発電機は3台設置してあり、そのうち2台が故障でも残りの1台で非常時の電源を確保でき、しかもそれは高所に設置されているものと思っていた。残念である。

 それにしても当事者である東電の武藤栄副社長のテレビ会見は全く当事者意識が感じられず、まるで人ごとで、無責任な評論家よりたちが悪い。