妻の49日法要を終えて

 

去る8月6日いつものように、夜10時過ぎに家に帰ってくると、家の明かりが消えていた。不吉な予感がして玄関にはいると、居間の入り口近くで妻が倒れており、救急車を呼んだもののすでに手遅れであった。くも膜下出血による死だったとのことである。

傍らには、私が出がけに妻に頼まれて買ってきた豚の挽肉を冷蔵庫にしまうこともなく、手渡したときそのままに置かれたままであった。午後2時頃に手渡してそのままということは、倒れて8時間以上経過してしまったということになる。その間、私の携帯電話に電話する暇もなかったのだろうから、本人もまだ死んだということをわかっていないはずである。死を前にした痛み、苦しみ、不安、恐怖などあらゆる苦を味わうことなく逝ってしまったということだけが救いである。

生前はあのメタボな体型がげっそりやせてしまい、毎日だるい、つらい、気持ち悪いとくりかえしていたが、食べるご飯は私の倍以上であるし、どこが痛いといこともなく、本人は、母親がガンで亡くなっていることから、自分もガンではないかと疑っていたふしがある。そのせいか、医者に診てもらうようにどんなに説得されても、決して言うことを聞くことはなかった。結果的には奇しくも母親の亡くなった歳と同じ62歳の死であった。

突然の妻の死を迎えて、悲しみというよりは、哀れでならない。あれほど活動的であった妻が最近は、温泉旅行さえ面倒くさいという理由で「お父さん一人で行ってきて」が口癖で、家に閉じこもりきりになってしまった。大学時代の同級会が東京であるから出てこいという誘いに対しても、例え現在の居住地である春日部で開かれても行かないと断ったと聞いて驚いてしまった。

そんなにつらいなら何か手伝ってやろうといっても、台所に入るのは私が死んでからにしてとか、私が何かをやると家中が汚れてしまうという理由で、雨戸さえ開けることを禁止して、すべて自分でやろうとしても、ほとんど何もやる気がしないというジレンマに陥っていたようだ。

妻が亡くなって整理していて気がついたが、冷蔵庫さえ冷凍庫を除いて使用不可能になっていたことさえ、取り替えるには、冷蔵庫の中とか周囲を整理しなければならない面倒くささを嫌い、内緒にしていたのだ。私に一言言ってくれれば、そんなことは半日もあれば十分やってあげられたのにと思うと、哀れでならない。

また、私が死んだら骨はそこらの川や山に捨ててくれればそれでいいから、が口癖だったが、そうはいかない。死んでゆく者はそれでいいかもしれないが、残された者は気が済まない。私の実家が浄土宗であったことから、近所に偶然あった浄土宗の「心光寺」さんにお願いして檀家の仲間入りをさせていただいた。

戒名は「信譽純一大姉」、頑固で人の言うことは一切聞くことなく、自分だけの信ずる道を生きたという故人の生き様を名前に込めて付けていただいた。

妻の出身が石川県の輪島市であることから、兄弟姉妹の親戚が遠方であることから、何とか49日法要までにお墓も仏壇も手配したいと急いだが、ネックはお墓であった。現在ではお墓はすべて中国で製作されるとのこと。船便だと一ヶ月はかかるとのことであったが何とか間に合った。

最近は、檀家づきあいは何かと面倒が多いという理由から、宗派に関係ない霊園を選ぶ傾向が強いとのことなので、近所の霊園を見学してみたが、何とも味気ない。私は田舎育ちのため、墓地といったらうっそうと繁る杉の大木の狭間に威厳をもってそびえる寺院の墓地を想像してしまい、そういう場所でないと安らかに眠れない様な気がしてならない。最近は、人はお墓に眠っているのではなく、千の風になってこの大空を吹き渡っているのだというような風潮もあるようだが、田んぼの真ん中の整地された一角に造成された霊園を見たとき、ガンガン日照りの日であったこともあり、とてもこんなところへ納骨はできないと思ったものである。死んだ本人はわからないかもしれないが、残された者の心が慰められなければ、安らかに眠れないという意味ではないだろうか。

それを昔の人は供養と呼んだのであろう。49日まで毎朝仮の仏壇にご飯を供えて焼香するとき、仏様はご飯の湯気が好きなのだから、炊きたてのご飯を供えて焼香したらそのままそのご飯は下げてきて、それを頂くのがよいとのことだが、実践してみると、つい話しかけたくなるし心安らぐ思いがする。「本当におまえは頑固だったね、みんな自分で背負い込んでつらかったんだろうね、もうそんな苦労しなくていいからね」と。

福島産の桃を楽しみにしていたねと、桃を仏壇に供えてやると、そうする私の心が癒されるのを感じることができる。子供の頃、仏壇にご飯を供えないとご飯を食べさせてもらえず、面倒くさいと思ったものだが、このような気持ちになったのは初めての経験であった。この供養の気持ちが宗教心の源なのだろうか。

日本における宗教は葬式仏教だといわれるが、人の死に直面してはじめて宗教とかかわる生活が始まる。自宅の和室に仏壇がある生活がある日突然訪れるとは。

わたしは別に浄土宗の信者でもないが、浄土宗のお寺の檀家の一員になった。妻にも浄土宗の戒名を付けていただいた。信徒でもないのに、形だけは立派な信徒になった。

信徒は形だけでもなれるが、和尚さんはそうはいかないようである。菩提寺の心光寺の和尚さんはもとサラリーマンで工場の生産ラインの設計を専門とする技術者であったとのこと。10年前に前住職であったお父さんが亡くなったのを機に、この道に入るのにかなり悩まれたそうである。技術者であるだけに仏教の理念が科学的に証明されない限り自分自身が納得できないということで、ビッグバンなどの宇宙論からアインシュタインの相対性理論や膜理論などを学びこの世が11次元の世界で成り立っているというあたりでやっと、自分なりの理解に到達したとのこと。

これからわたしはこの和尚さんのもとで、仏壇にご飯や桃を供えて供養した気になっている一信徒として生きてゆくことになった。人間、最後は宗教だという。元気な内は必要性を感じないが、いつか供養の気持ちと同様、宗教心が生まれる日がやってくるのかもしれない。それにしても、道を説く和尚さんを尊敬できなければ、教師を尊敬できない生徒と同様で、育つ訳がない。その点では私は良き和尚さんに出会った。

仏壇の開眼に訪れた和尚さんとは30分程度の予定が、その後、3時間近く話し合ってしまった。一生話し合っていたいほどであった。和尚さんは私より10歳年下だから、絶対死ぬまでお付き合い可能であるし、死後も法要までお願いできることは、心安らぐことである。

49日法要で和尚さんは、故人に対しああしてやればよかった、こうしてやればよかったではなく、できることは全部してあげたのだという気持ちを持ちなさいというような法話をなさった。これも供養だろう。わたしの宗教心はまだ「供養」どまりのようだ。

                           以上