美しく青きドナウ」の恩

 

 そう、あれは私がまだ田舎の中学三年生になったばかりの時のことであった。田舎の中学ということで学校での音楽の授業といえば、教師の弾くピアノに合わせてみんなで歌を歌うだけで、器楽の演奏を習うわけでもなく、時々クラシック音楽のレコードを聞かせてもらう程度であった。そのためか、私自身も音楽には何の興味もわかずに、音楽の時間はただただ退屈な時間であり、おしゃべりをしていては教師にしかられた記憶しか残っていない。

 その私が、還暦を越えた今も、地元のマンドリンクラブで活動しているほどの音楽活動を続けているほどの音楽好きになったのは、すべてはあの中学三年の時に聞いた「美しく青きドナウ」のおかげと思っている。

 いつもの退屈な音楽の時間に、ヨハンシュトラウスの「美しく青きドナウ」のレコードをかけてくれたのだ。その時、なぜか、胸が締め付けられるようで、息をするのも苦しい事態が発生したのだ、その曲は、私にとっては初めて聞く曲のように思えたのに、なぜそのようなことになるのかわからず、隣にいた悪ガキのひとりに、「おい、この曲を聞くと何か胸が苦しくならないか、何でだろう」と訊ねると、そいつは、「この曲は確か、修学旅行で行った国際劇場で演奏していた曲だよ」と教えてくれた。その瞬間、楽しかった修学旅行の思い出とともに、国際劇場で隣に座っていた、やはり修学旅行らしき女生徒に勇気を奮い起こして話しかけたことが、まざまざと蘇ってきた。音楽がこんな力を持っていることを教えられた瞬間であった。

 音楽がこんなすばらしいものであることを、それまで誰からも教えてもらったことはなかった。なんとも長い間そんな音楽を無視してきてしまったことが悔やまれてならなかった。

 それ以来、音楽の授業もそれまでと全くちがうものに感じられた。音楽の時間に歌う「菩提樹」や「家路」などが、授業で歌うだけでは物足りなくて、悪がき達に放課後残ってもらい、合唱の練習などをしたものであった。田舎の学校では珍しい光景であったためか、廊下には見物に来た生徒たちであふれていたが、それでもその恥ずかしさに勝る楽しさを覚えたものだった。また、音楽の教科書や参考書も勉強するようになった。小学校時代から音楽の成績はずっと「2」であったが、2学期には「5」にアップしたのには驚いた。当時「楽典」として学んだことがそのまま現在も、音楽知識として楽譜を読むのに役立っている。

 その後、高校での三年間のブランクがあったものの、大学ではギタークラブに所属し、どっぷり音楽生活を満喫できたし、社会人になっても、ギタークラブ、マンドリンクラブと続けることができたのも、すべては、あの時に始めて聞いた、ヨハンシュトラウスの「美しく青きドナウ」のおかげと生涯の恩を感じている。そして、もし、この曲に出会っていなかったら、音楽に無縁でギターやマンドリンを弾くことがなかったばかりでなく、カラオケでいろんな歌を歌う喜びも知ることなく、味気ない人生を送っていたことだろう。