「空気の研究」
「空気の研究」(山本七平著)という本を読んだ。キリスト教やイスラム教のように人が直神と契約を交わすことのない日本人は,「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の17条憲法の価値観に支配されているためか,もっとも重要な事項でさえ,議論して決めるというよりは,その場の空気に支配されてしまうという。
太平洋戦争突入前夜のやりとりをみると,ずるずると勝つ見込みのない戦争へと走って行く様子が見て取れる。当時アメリカと戦って勝てると予想した人はほとんどいなかったのにもかかわらず,当時の日本の空気は「バスに乗り遅れるな」「勝ち負けの問題ではない」という感じだったようだ。あの東条英樹でさえ,日米戦争が決定したその日,自宅に帰って号泣したという。もちろんうれし泣きであるはずがない。当時の空気に逆らえず戦争開始が決定したことに対するどうしようもない悲しみにおそわれたのであろう。
終戦後は戦争責任を東条英樹をはじめとするA級戦犯になすりつけて,180度価値観を換えてしまった。まるでドイツのヒトラーと同じ見方をしている向きがある。とんでもない話である。欧米では個人が神と契約しているから,罪悪については全面的に個人がその責めを負わなければならないが,その場の空気に流されてことが決まる日本において果たして個人の責任といえるだろうか。
たとえば,開戦決定の最後の御前会議で,開戦について誰も発言せず,天皇も無言だったと言う。それをとらえて,ある文献では,あの時天皇が開戦を否定すれば開戦は避けられたはずだから,天皇に戦争責任があるということが書いてあったが,そんな単純なものの見方しかしかできない者が本を著すなど信じられない。(欧米人だったら当然そのように見るだろうが)
御前会議では当初から天皇は明治天皇の御歌「四方の海 みな同胞と思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ」を引き合いに出して,なんとか戦争回避できないかとの再検討の指示に対し,どうしても避けられませんという案が最終的に御前会議にかかり,一言の発言もなく決定してしまったのだ。
そのときの空気を想像するに,だれも自己の責任において反対などできるはずがない。
そうして,破滅に向かってまっしぐらに走ってしまったのだ。全員が「和をもって貴し」となしたのだ。ドイツのヒトラーの命令絶対主義とは正反対といってよい。むしろ,天皇は御前会議メンバーの決定絶対主義である。
ところが,欧米の価値観からみると,ヒトラーと天皇を全く同一視している。東京裁判がニュルンベルグ裁判とほとんど同じ方針で裁かれたことが,ぞれを如実に物語っている。ただ,インドのパル判事だけが,日本は自衛のための戦争だったと証言したものの,正式には取り上げてもらえなかった。やはり仏教発祥の国ゆえの価値観が共通するところがあるのだろう。
ちなみにA級戦犯という言葉があるが,これは正しくはa級戦犯だという。それは第5条裁判の方針のなかで,a,平和に対する罪,b,通常の戦争に対する罪,c,人道上に対する罪の3つの方針によって裁かれるということで,ニュルンベルグ裁判と6条と5条の違いで,中身は同じだったという。したがって,A級だから重い罪というのではないことがわかる。しかも,平和に対する罪というならば,戦争というのはけんか両成敗ではなかろうか。日本人移民を迫害し,
ABCD包囲網で兵糧攻めにしておき,果ては原爆をもって非戦闘員を30万人も一瞬のうちに虐殺しながら,平和に対する罪を問われないとは,戦勝国が敗戦国を裁くからこのような矛盾が通るのであって,ドイツと日本を同一方針で裁くとはもってのほかである。一方,アメリカ側に立ってみると,ドイツと日本は全く同じに見えて当然である。したがって,ヒトラーと天皇は同じに見えていたようだ。その証拠に広島に原爆を投下した飛行機の名は「エノラゲイ」(天皇を殺せの意)だったことからもわかる。
そのアメリカが天皇を裁くためにやってきたマッカーサーに天皇がはじめて会見したときの様子が,「マッカーサー回顧録」(原題は“われ神を見たり”)に記されている。
ヒトラーと同類の独裁者を想定したのに,正反対の人柄に接して,お帰りの際には丁重にお送りしたという。マッカーサーは一瞬にして殺人鬼ではなく“神”を天皇の中に見出したのだろう。
そうして,日本統治を終えて母国アメリカの上院で,長時間の演説を行い,日本の戦争の真の原因は侵略ではなく自衛のためのものだったと述べた。その演説の最後にあの有名な“老兵は死なず ただ消え去るのみ”の言葉で締めくくったのだった。その演説内容はアメリカでは大々的に報じられたのに対し,日本ではただ一紙が単に演説を行ったことだけを報じたに過ぎなかった。
あのマッカーサーでさえ,日本を統治してみて日本という国の特殊性を理解し,それを長時間の演説で説明しても,とうていアメリカ社会では受け入れられず,老兵は消え去るしか術がなかったのであろう。天皇という最高責任者が世論に流されて,望まない戦争に突入してしまったというのは,ルーズベルトが世論の反対を押し切って戦争に突入したのとは正反対であるから,理解されるはずがなかったのだ。その世論にしてもその場の空気に流されだれも止めることができなかったということは,戦争責任を問うこと自体が無意味なのだ。
ただ,満州事変の発端となったのは,柳条湖事件であるが,あれは明らかに関東軍の板垣征四郎と石原莞爾の仕組んだ,自作自演の事件であったことであるから,責任は問える。
ただし,満州よりの南下策は,当の板垣と石原は大反対で,陸軍大臣東条英樹と争ったのだという。その理由は,中国は広いから泥沼の戦争になり,にっちもさっちもいかなくなるおそれがあったからであるが,歴史はそのとおりをたどってしまった。
いまから考えると,なんであのとき満州だけにしておかなかったかが悔やまれるが,当時の空気すなわち満州事変に気をよくして,国中がいけいけどんどんの空気になってしまったのだろう。しかし,満州事変を起こした張本人にしてみれば,満州事変が成功したのは決して関東軍が強かったからではなく,特殊作戦(情報遮断等)が功をを奏しただけであったことを承知していたのだ。関東軍1万6千に対し張学良軍は11万を越えていたという。言って見れば織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦いみたいなものだったのだ。
それを知らずに日本には無敵日本の空気が蔓延してしまったのだ。
ちなみに石原莞爾を支えたブレーンの一人に小沢征爾の父親がいたが,石原が中国南下策支持の東条に敗れ,予備役に退いたことで,日本軍に未来はないとして,せがれ征爾に軍人になることをあきらめさせて,音楽の道に進むことになったのだという。征爾の名前は板垣征四郎と石原莞爾からとったというのはいうまでもない。
日本が戦略をもってことを構えたのは歴史上満州事変だけではないだろうか。あとは明治維新さえそのときの成り行き任せすなわち空気が支配していたようだ。
また戦後の目覚しい復興と経済大国への道も空気だと言って差し支えないないような気がする。
そして今,小泉改革の空気が日本中を席巻している。空気に流されやすい日本人ならば,改革に向けてまっしぐらとなるはずなのに,今回ばかりは空気より強力な反対勢力があるようだ。それは既得権益であり,お金の力だ。世が世ならば革命または内戦になるところだろう。しかし,現代の戦争は経済戦争であるから,既得権益により集金システムができている相手に勝てるわけがない。政治さえ集票システムすなわち既得権益システムをベースにしている以上は無力である。最近の小泉首相の孤軍奮闘ぶりを見ていると,ドンキホーテが巨大な風車に挑む光景を思い出す。
不良債権に縛られ,その中で何とか生き残ろうと,その場しのぎを重ねて行くと,カエルがぬるま湯からゆでて行くとゆであがるように,日本経済も知らず知らず破綻に向かってまちがいなく進んでしまうことは,誰もが認めているけれど誰もその空気を止めることができない。ちょうど,負けるとわかっているアメリカとの戦争をだれも止めることができなかったように。おそろしいことだ。
以上