チーズはどこへ消えた?
「チーズはどこへ消えた?」という本を読んだ。チーズとは仕事や家庭恋人など自分の求めているもので、それを得ることが幸せにつながるというもののたとえとして描かれている。
いままで普通に得られていたチーズがあるとき少しづつ減ってきて、そのうちになくなってしまった。同じ場所で再びチーズが得られるようひたすら待っていても、すでに条件が変化してしまっているのだから、自分自身が変わらなければ,再びチーズは得られないという内容であった。
将に現在の当社いや日本の現状を言い当てており、それが、ベストセラーの2位になる理由でもあろう。チーズはいろんな意味に解釈できるが,ここでは仕事に限って考えてみよう。仕事にたとえるにはチーズよりパイのほうが一般的に用いられている。
パイが減ってきたので、技術力とコストダウンで競争力を強化して、少なくなってきたパイを勝ち取ろうと、必死の努力をしているところである。ところが、この本では。同じ場所に同じ方法で努力しても、いずれ、パイを失うことは避けられない。したがって、できるだけはやくそれに気づき,別の新しい場所に新しいやりかた、すなわち自分自身が変わっていかなければ,パイは得られない、ということのようだ。
いちいちごもっともなことであるが、自分すなわち供給者(サプライヤー)が変わればほんとうにパイにありつけるだろうか。いま、日本中がITに浮かれているが、IT部門に進出すればほんとうにパイにありつけるのだろうか。ありつけなかったら、さらに別の部門へと変わりなさいという意味だろうと思うが,良かれと思う部門へと変革を図っても、パイが得られなければ話にならない。物語では、二匹のねずみ「スニッフ」と「スカリー」
は試行錯誤だけでチーズにありつけたし、「ホー」は自己変革を図ったら,チーズにありつけ、「ヘム」もはやく現状に執着せずに、自己変革を図ればよいのにという
。物語はいいな、そんなことを言っていられて,というのが、正直な感想であった。こんなことを言うと,そういう自己変革をできない人を,物語では「ヘム」のやりかたで描いているのだ、と諭されてしまう。
この物語では明らかにされていないが、チーズの絶対量は、すなわちパイの絶対量が減少しており,必要人数が変わらなければ,一人当たりのパイは減少することは避けられない。それこそ、少ないパイで満足できるよう自己変革を図らなければならない。それでも別の意味のパイを得られたということになるのだろうか。
現在は、物を売る時代ではなく,ソフト(システム)を売る時代だと言う。そして、その市場は無限だと言う。パイは無限にあるのだから、それに合わせて自己変革を図れば無限にパイを手にすることができることになる。そんなことなら世界中の人が自己変革すれば世界中の人が,無限にパイを手に入れることができるのだろうか。こんなへりくつはほんとうは言いたくないのだが,人間社会の一番微妙で問題な部分を、危険を覚悟しつつも喜んで自己変革図りさえすれば、問題解決という図式がはなもちならないので、あえて、言わせていただいた。
わたしは思う。それは自己変革で、自分が求める「チーズ」を手に入れるのではなく,社会がもとめる「ニーズ」に応えていたら、結果的に求める「チーズ」が手に入った、というべきだ。パイの減ってきた現代には、パイを奪い合うのではなく,社会のニーズを先取りしてそれに応えることこそ求められている,と確信する。
社会のニーズとは結局「お客様本位」に通じるわけだが、そのお客様の消費が減少してきており、デフレスパイラルの傾向がでてきているのが、先のG7でも指摘されている。 日本人はお金持ちなのに,それが消費に回らないということだ。ほしいものがなくなってきたのか,ほしいものがある人は金がないか,おそらく両方だろう。こんな時代だからこそ物ではなくソフトを売らなくては、ということになるが、将来に不安をあおるからますますサイフのひもは堅くなる。
こんな時代には、社会のニーズもますます冷え込んでしまうから、ソフト市場も必ずしも無限ではない。人間感情として、物を買うのを我慢しているのに、温泉旅行には行かないだろうということだ。
ところが、日本中のメーカやゼネコンその他あらゆる企業がソリューション経営を旗にあげている。要するに物ではなくソフトを売るということである。これではどう考えても供給力過剰だろう。この図式は、バブル前のリゾート法制定の経過に似ている。すなわち、これからの日本は働くばかりではなく、長期滞在型のリゾートを楽しむ時代だとして、日本中にゴルフ場、スキー場、テニスコート、リゾートマンションを作った。ところが、それを利用する人間は仕事が忙しくて,長期滞在どころではない。そこで、自分で利用するのではなく、投資に最適ですということになり、結局バブルははじけてしまった。
いままた、ITだ高齢化だと騒いでいるが,同じ轍を踏むおそれがある。
ただし、リゾートと違いソリューションはお客様の要請がない限り、作り置くということができないからバブルは起きにくい。そのことはまた、ニーズが少ないということにも通じる。
したがって、お客様のニーズを掘り起こすには,お金持ちがお金を使ってもよいと考えられるようなプロポーザルを提供できるかどうかにかかっている。
たとえば、中国がどんなに巨大市場であっても、日本のように国民のほとんどがマイカーを持つようなことは,ニーズはあっても購買力がなければ市場とはいえない。
逆に日本のように、1300兆円という巨額な個人金融資産を有している国においては、魅力的なプロポーザルさえ提示できれば、即、巨大市場になり得るということだ。
そのプロポーザルがないから経済が冷え込んでいるわけだが,その改善策として、ソリューションをかかげても、人件費の節減や電気代の節減といった従来の価値観の延長では従来の結論しか出てこない。すなわち、現在の閉塞感は、従来の価値観の努力の延長の結果と言えないこともない。コストダウンや、なにかの節減というのは新たな価値観ではないから,所詮少ないパイを取り合う手段にしか過ぎないのだ。
昔だったら,こんなときは戦争を仕掛けて市場開拓をしたことだろう。
戦争が許されない現代では,じっと辛抱するか,価値観の転換しかあるまい。
価値観の転換とは、コストダウンとか何かの節減ではなく,少々コストが嵩んでもやろうと言う価値観である。たとえば、リサイクル、ゴミ、環境、危機管理、自然エネルギーなど、それこそ無限にパイは存在するが,それらは、すべて、利己主義と経済性優先主義に阻まれ,ソリューションの対象になり得ないのが残念でならない。
したがって、今後のソリューション事業はこの宝の山を如何に開発するかにかかっているといっても過言ではない。経済性の壁は確かに大きなリスクではあるが、リスクを怖れていたのではチーズは手にできないことは、物語に教えられなくてもわかっていることである。
最近の事例では、マイクロガスタービンや風力発電がよい例である。スケールメリットだ、割高だといわれ置いてけぼりにされていた技術が時代の寵子に変わった。これこそソリューションであろう。技術がないわけではなく,単に経済性が成立しなかっただけのものは、経済性さえ成立すればブレークスルーするということだ。
卑近な例では、百円ショップだ。百円ショップの元祖「ダイソー」の社長の言によると、初期のころお客さんがふと漏らした「こういうものを買うと、安物買いの銭失いになる」という言葉だったと言う。それでは、安物買いの銭失いにならないものを売ればたくさん売れると考えたのがスタートだったという。単価を下げるためには,大量発注しかないが、大量発注は在庫を増やすことになるため、如何に売れるものをジャストインにするかが経営の基本と言われている。セブンイレブンがその典型であるが、その逆をやったという。何故ならば,これは売れるとなると必ず競争相手が出てくるので,競争相手が参入意欲をそぐほどの在庫を持つことが勝ち残る方策だという。一例をいうと、百円辞書を1500万冊発注し、大型トラック148台で納入したというから驚く。
このように、経済性原理というものは、本気でやろうとすればなんとかなるものなのだろう。百円辞書など、アメリカだったらただちにダンピング提訴にかかってつぶされてしまうだろう。そして既得権益を法律で守ろうとすることだろう。
このような発想にたてば、これまで経済性原理の壁に阻まれていたもののうち、社会が望む上記のようなもののなかにこそソリューションのヒントがあると思われる。
その中で次の案件を例にあげる。
1、「深海に眠るメタンハイドレートの開発」
日本近海に6兆
m3、国内消費の100年分ものメタンが結晶状態で眠っていることが確認されているものの、採掘にはコストが嵩むことから,手がつけられていない。逆にいえば,コストさえ下がれば無限に近い資源を手にできる。採掘技術開発には研究費も必要だろうが,本気でやる気さえあれば,そんなものは国へ申請すれば,最優先で つけてもらえそうに思う。2、「人工島による多目的設備の建設」
ゴミ処理設備や原子力発電所はどこへ建設しても住民投票で否決されてしまう。そこで、近海に人工島を設けて,これらを集中する。海底深く掘削して島を建設するので、その掘削空洞を下池に海を上ダムにした海水揚水発電を行う。併せて,高齢者施設を建設して総合的な価値を高める。
3、「原子力発電所防衛」
原子力発電所(特に柏崎・刈羽)のテロに対する防衛は、自衛隊の出動を期待することはできないし、また、起きてからでは取り返しがつかない。また、事前には警察も動くことはできないので、いってみれば、無防備になっている。
したがって、自前の防衛隊と設備・武器を配置して警戒にあたる。
4、「電気エネルギーセキュリティ計画」
原子力、火力とも国債情勢により左右され、最悪の場合,国内自給エネルギーだけになってしまうことがあるかもしれない。食料セキュリティで米だけは確保すると同様に,電気も、各自治体ごとに自前の自然エネルギーで、生活だけができる最低限の発電力を確保するよう働きかける。(小水力、風力、太陽光、バイオマス、NASなど)
以上