靖国参拝問題を考える

昨日、終戦後80年8月15日、終戦記念日を迎えた。

参政党の議員88名が靖国神社参拝を行ったと、ネットでもっぱらの話題である。

戦争で亡くなった英霊に対し尊崇の念をおって追悼することは、国政に携わる者として当然と思われるが、近隣諸国に配慮して首相をはじめ閣僚のほとんどは参拝を自粛している。

それは、A級戦犯が合祀されているから、参拝は戦争美化につながりかねないということらしい。

しかし、昭和27年サンフランシスコ講和条約締結後、それまで収容されていたすべての戦犯を関係諸国の了解を得て、恩赦、放免を行っている。死刑執行によって既に死亡している戦犯を死刑取り消しはできないから当然であろう。A級で重大犯罪であったからではない。そもそもA級とは、ニュルンベルグ裁判で、a.平和に対する罪、b.通常の戦争に対する罪、c.人道に対する罪、の3種類ののうちのaにすぎない。大文字で書くからいかにも重大犯罪の印象を受ける。戦勝国が裁く裁判は、無辜の民を何十万人殺戮した原爆が戦争犯罪に問われないように正当であるはずがない。

したがって、アメリカの統治が終了した時点で、戦犯は取り消し、そして靖国神社合祀が行われたのだ。

そして、昭和天皇陛下は終戦後続けていた靖国神社参拝を、昭和50年以来行っていない。A級戦犯合祀は昭和53年であったが、それを事前察知したからではないかと、世間を賑わせた。

天皇陛下がそんな狭量であったとは思わないが、のちに側近の富田氏が語っているが、天皇陛下はA級戦犯合祀について、“あの松岡、白鳥もか“と尋ねたという。

松岡とは松岡洋祐外務大臣で、日独伊三国同盟をまとめ、日ソ不可侵条約をまとめて功労者であったはずだが、外務大臣選定の際、各大臣を推薦する東條首相に対し、“あの松岡だけは何とかならないか”と問いたという。それに対し、“余人をもって代えがたし”と返答したとの逸話が残っている。昭和天皇はあの日独伊三国同盟と日ソ不可侵条約こそが、どうしても許せなかったのかもしれない。

松岡洋右氏が日独伊三国同盟を結んで、帰国したときの様子をについては、当ホームページの第25編「終戦記念日に思う」を参照されたい。日米非戦案をないがしろにして、ハルノートへ一直線の実態が明らかである。

その後、A級戦犯合祀問題は中国、韓国にも伝わり、昭和60年には、中曽根首相が中国に配慮して靖国参拝中止を表明した。

それ以来、小泉、安倍首相が参拝をすると、中国で激しい反日運動が起きるという構図が出来上がってしまった。

そして、いまは、靖国参拝を行なわないことが、中国への忠誠心表明のリトマス試験紙の役目を果たしているといっても過言でない。そして、それに反するとそれ相応の不利益が待っている。

したがって、そんなしがらみがない参政党は、国民が願う当たり前の行動が平気で行えるというわけであろう。

参政党が今後成長して、政権与党となったときにも同様に参拝ができるかどうかが問われる。そして、それができたときにはじめて国民が望む与党が誕生する。