笑い
「笑門来福」とは笑う門に福来るとして、誰にも知られている。
事実、例えば、ガンと宣告され、余命わずかと知らされたとき、どうせ死ぬなら、死ぬその日まで好きなことをして過ごそうと、登山を始めた人が、余命期間を過ぎても死ぬどころか、ガンは縮小していて、余命は大幅に伸びたという話は聞いたことがあるが、笑いは、それ以上に余命を伸ばす効果があると、読んだことがある。
すなわち、自己免疫力がもっとも強いのは、強い生きがい以上に、笑いだということだった。
しかし、笑いとは、落語を聞いておもしろおかしく笑うと、心からおかしく笑う、あるいは、お愛想笑いといろいろ種類がある。
私は、子供のころから、笑いについての抜き先ならない疑問がある。
それは、どんな悪党も笑うときは、普通の我々と同じように、アハハと笑っているのかどうかとうことである。
時代劇ややくざ映画では、悪党は、不敵に、ウフフと笑う。しかし、それは演出であり、面白いときは、一般人と同じように心からワハハと笑っているのだろうか。
その世界の人たちの実態を知るすべはないが、少なくとも映画、ドラマの世界は演出に過ぎないと思っている。
だからといって、一般庶民と同じような心からの笑いがあるとも思えない。常日頃、心からの笑いを経験していると、そもそも悪事を働こうという気にもならないだろうし、悪事に染まってると、心からの笑顔を経験しないため、ニヒルな表情が染みついてしまうのではなかろうか。好々爺と悪党の分かれ道はこんなところにあるような気がする。
一般庶民の笑いにもいろんな種類がある。お愛想笑いのように、本来面白くもないことに笑ったり、話をするのに習慣的に笑いながら話す人もよく見かける。
本来、笑いとは、悲しみと同じように、こみ上げる感情に耐え切れず、漏れるものであるはずである。
ここで思い出すのは、私がある4コマ漫画を見て、思わずこみ上げる可笑しさに耐え切れず、クックックと忍び笑いをしてしまったことがあった。
その漫画は、小泉政権がアメリカのイラク侵攻を国会で追及されていた頃で、小泉首相のご子息(進次郎氏?)が退屈だから、イラクへでも行ってみようかな、と、両手を頭の後ろに組んでつぶやくと、石破防衛大臣が、目ん玉をひん剥いて、お坊ちゃん本当に行かれますかという4コマ漫画であった。わたしは、こみ上げる可笑しさを抑えることができず、人知れずクックックと笑ってしまった。漫画を見て、面白いとは思っても、耐え切れず声を出して笑ってしまうことは、めったにない。
そんな、わたしに、高校同級生の丸山君が、数年前の同窓ゴルフコンペのあとの会合の際、“池田の部下たちは怖かったのではないか”と言ったのを思い出した。
あまり笑顔を見せない私の周囲の人たちに与える影響を、同級生は昔から見抜いていたのだ。
しかし、あまり笑わない私も、本当におかしいときには、こらえきれずに笑ってしまう。所属するゴルフクラブの年増のキャディさんが、言ったのを思い出した。“池田さんは怖い顔をしてるけど笑うと、とてもかわいい”と。
笑いは、個人的には極めて高度な免疫力を発揮するとともに、周囲にも多大な影響を及ぼすということだろう。
作り笑いではなく、心からの笑いがある人生を送りたいものである。