人生で一番楽しかったこととは
喜寿を超え、これまでの人生を振り返ってみて、一番楽しかったことは何だったのかを、考えてみた。
ところが、本当に愉しかったとこととして、思い出せることは、どう考えても思い出せない。
当然のことながら、初恋、初キッス、初体験、結婚、出産、子供の成長と、人生の当たり前の出来事は、人並みに経験した。
だからといって、それらが本当に、人生の楽しかった思い出かと、振り返ってみると、必ずしもそうではない。
それぞれの過程で、背一杯の心遣いや、悩みで、楽しみとはほど遠い。
しかし、振り返ってみると、恋心こそ、人生の重大な出来事であったことは、確かである。
中学時代の井沢恵子さん、高校時代の若林美和子さん、大学時代の伊藤しげ子さん、どの人を思い出しても、生涯の伴侶として一生を添い遂げたい女性であった。
ところが、それぞれ、その時点では、結婚ということを意識できるほどの、状況ではではなかったため、継続はできなかった。
すなわち、精神的な交流(プラトニックラブ)と結婚を意識した性的な交流が両立しえなかったということだ。
そんな齟齬から、すべての私の恋は終わりを迎え、あまつさえ、大学時代の彼女が、私の尊敬する先輩から、交際を申し込まれていることを知り、心から祝福したものだった。
まして、中学時代の彼女は消息つかめず、高校時代の彼女は音信不通、そんなことから、結婚前の恋の思い出は、楽しいどころか、苦々しい思い出に詰まっている。
年頃になって、新婚時代はさぞ、楽しいことと、世の中には知られているが、振り返ってみると、楽しいと言うよりは、やらなければならないことを、しっかり処理することばかりに気をとられ、楽しかったという認識はほとんどない。新婚時代に、大学時代の彼女があるとき、訪ねてきた。新婚であることを知り、驚いていた。私を、結婚できる男とは認識していなかったようであった。私も年頃になり、結婚し、子供も生まれたが、結局、10年後には離婚するハメになった。やはり、プラトニック部分が不足していたと反省している。
初めて子供が生まれたときも、双子と知り、控え室で待つ間に、真と和を取り入れた名前を考え、真人、和人と名付けた。そのときの感情を幸福というのだろうか。
子供の成長に合わせ、ハイキング、遊園地、運動会、授業参観、それぞれ楽しいというよりは、何とかうまくやってやりたいという思いばかりで、楽しいというのとはちがう。
恋、結婚、子育て以外では、家族団らんの楽しみがある。正月、どんど焼き、村祭り、七夕、芋団子、カボチャぼうとうなど、それなりに楽しった思い出はある。
なかでも、田植え時期に、毎日、雨のなかで、田植え作業に明け暮れ、そのとき、父が、この田植えが終わったら、みんなで近くの千曲公園へ、弁当を持ってハイキングに行こうとの言葉に、子供心にどれほど愉しいか夢をみて、がんばった記憶があるが、いざ、田植えが終わっても、そんなところに行っても何もないからと、連れて行ってもらうことは、かなわなかった。今思い出してみても、もし行っていたらどんなにか楽しかっただろうと、故郷の千曲川にそびえ立つ千曲公園の絶壁を見るたびに思い出す。生涯に家族みんなで出かけた記憶は皆無だったことを考えると、もし、一回だけだったとしても、そういった思い出は生涯忘れられない思い出に残ったことだろうと思うと残念でならない。
趣味でゴルフ、ギター、マンドリン、カラオケ、社交ダンスと、いろいろやってきたが、楽しみというよりは、練習の苦しみの方が多かったような気がする。
家庭菜園も、長い間やってきたが、収穫の喜びどころか、雑草や病虫害とのたたかいなどで、苦しみの方が圧倒的に多い。
仕事面では、入社した当時はちょうど揚水発電の黎明期であったが、運良く水力発電部門に配属され、定年退職するまで、揚水発電事業に携わり、落差700mを超える超高落差揚水発電技術とともに、可変速揚水発電まで、世界に冠たる技術の実現できたことは、誇りとするところではある。
健康面では、30代の終わりに、痔の手術、40代はじめに鼻たけの手術を経験し、子供時代からの苦しみから解放されたことは、振り返ってみると最大の幸福といえるかもしれない。50代に入ると、脊柱管狭窄症という腰痛に悩まされてきたが、これまで、3回の発症を、医者ではなく、独自の体操で乗り切ってきたこともありがたいことである。
痛みの最中は、この状態が回復できないとしたら、いっそ、自殺した方がましと、何回も考えた。まして、先のニュースで、ALSで全身マヒの女性が、ネットで殺してくれる人にお金を払って、死んだことが報じられたが、気持ちがよくわかる。世の中の反応は、支援を考えるべきだなどと言っているが、死こそ本人の希望で、しあわせと考えるべきだと思う。
人生の本当の楽しみとは何だろうか、天下をとった豊臣 秀吉や徳川 家康にも聞いてみたい。お二人の辞世の句をひもとくと。
豊臣 秀吉 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
徳川 家康 嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空
いずれも、人生は夢のようなものと、捉えているようである。また、家康は、「人生は 重き荷物を背負いて 山を登るがごとし」とも例えている。
そういえば、「一炊の夢」という故事がある。ある青年が、苦労して出世して、権力を握り、栄華を極めた夢をみたが、それはかまのおかゆを炊く間のわずかの時間に見た夢に過ぎなかったという。人生は所詮そんなものかもしれないが、その時々は背一杯というのが現実であるようだ。
そんなわけで、まいにち精一杯の時間をすごしている。そのなかに楽しみがあるかどうかはよくわからない。