竹内久美子氏を慕う
竹内 久美子氏は京都大学の、動物行動学の権威で、私は長い間、氏の著作の愛読者である。
先日の産経新聞の正論欄で、氏は、鬱病の病歴を告白し、それは、のどが渇いたから、水を飲みたいと全くおなじで、自殺願望で、自殺するのと同じだという。
氏の著作はいくつか読んだことがあるが、生物がどのような特性を有するか、科学的に分析をしており、たとえばそれを、「BCなはなし」すなわちBiological Collect,生物学的な真実として論じている著昨であった。その中では、たとえば、生涯つがいとして添い遂げる海鳥が、正規の夫婦の遺伝子を子に残す割合を調査したところ、73%にとどまったとか、人間の男子のペニスの形状が、なぜ、あのような雁首を有する形状なのかは、すでに女性の膣内に存在する、他の男性の精子を掻き出すためだとか、ネオテニーという説では、人間が生まれて成人になるまでの期間こそ、文化的に成長する期間であり、子供っぽい期間が尤も長いと言われている日本人こそが、文化的に最も高度な成長を実現していることなど、一面では、トンデモ理論と揶揄されているとも聞く。
だけど、私にはそうは思えない。氏の疑問、研究は、生物の根源にかかわる問題だからだ。それを、単なる、推論ではなく、科学的な調査、研究で成し遂げている。
私は、氏の著作は文句なしに受け入れてしまう。疑問を挟むどころか、人生の秘め事を共有しているような想いから、他人とは思えない同調感につつまれる。このような感覚は初めてである。
そんな氏が、産経新聞で、自己の鬱病を告白し、死の欲求と戦い続けた生涯を綴っていた。
あんな冷静な研究、判断ができる氏が、死の欲求と戦っていたなんてとても信じられない。
氏は、俳優、三浦 春馬氏の自殺も、鬱病によるものと判断し、なぜ、適切な施薬治療がなされなかったのか、問題提起していた。
鬱病は、単なる病に過ぎないということであった。