人生の愉しみは
Wine, woman, and
song, these three garnish my way.こんな英文をどこで覚えたか、高校生の私が、受験勉強に励んでいた頃、自作の仕切り壁紙に、マジックで書き記していたことを覚えている。ちなみに、その下には、同じくマジックで、「一粒の麦、もし死なずば一粒で終わらん 一粒の麦、もし死なば 再び蘇るべし」だった。
どうも、世俗的な快楽を、一時忘れて取り組めば、新しい自分を生み出せるというような意味をこめて書いたようである。
この頃から、人生を彩るのは、酒と女と歌とわかっていたようで、80歳に手が届く高齢になったいまでも、女はともかく、酒と歌をこよなく愛し、愉しんでいる。
歌に代表される音楽は、聞いているだけでも、愉しいことであるが、それを自分で表現することはもっと愉しいことであることは、誰でも知っていることであるが、自分で表現することは、楽器にせよ、歌にせよ、多くの練習が必要であることはいうまでもない。
私は早くからそれに気づいたため、大学入学と同時に、ギター部に入部して活動を開始した。そして、フェルディナンド ソル作曲の「グランソロ」、「モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲」という名曲に出会い、学生時代に必死に取り組み、全曲暗譜はしたものの、基礎的技術不足で弾きこなすことはかなわなかった。その後も、それを生涯の課題として、個人的には練習を続けていたが、卒業後15年経過したある朝、その日発表するギター曲の最後の練習をしていたとき、突然、右手薬指がマヒして不随意的な動きを示し、治そうと練習を強化すると、さらに症状はひどくなってしまった。
もちろんその日の発表はガタガタ、指導の先生からは「池田さん、どうしたの メチャメチャじゃない」といわれてしまった。
それ以来、いくつの整形外科、カイロプラクティック、心療内科、鍼灸院を受診したことだろう。すべて何の効果もないばかりでなく、症状は悪化するばかりであった。
結局、10年ほどギターから離れ、ある日、あるパーティーで、アントニオ古賀氏と話す機会があり、ギターを愉しんでいたけど、そんなわけで指が動かなくなり、今はあきらめたと話すと、氏は「池田さんはプロになりたいの、そうでなかったら指の一本や二本動かなくたって、動く範囲で弾けばいいじゃない」といわれてしまった。
それをきっかけに今は、ほとんど一本指と親指を使っての和音演奏など工夫を凝らして演奏している。難曲を除けば特に不自由しないところまで来た。どんな医者も治せなかった病を氏の一言が病を克服させてくれたのだ。一流の人はちがう、といたく感激した。
また指を使わず、ピックを使ったマンドリンも、ギターとほぼ同じ大きさのマンドロンセロという楽器に挑戦し、今、市のマンドリンサークルで活動している。
歌についても、聞くのも愉しいが、自分で歌うのはもっと愉しい。とはいっても、旨く歌えればのはなしである。
今は、カラオケが普及して、歌う機会が増えた。ちゃんとしたバックの音楽に合わせれば、少々ヘタでもかなり愉しめる。まして、エコーでもかければ、音程の狂いさえごまかせる。
しばしば、カラオケ店で、廊下に漏れてくる歌を聴くことがあるが、マイク音量を上げているせいか、歌声だけが聞こえると、全く歌になっていない。たぶん歌ってる本人は気分良く歌っていると想像すると、カラオケというものは、非常に便利な器械であり、世界中で愛される訳がわかる。
カラオケも普及し始めた頃は、クラブの舞台で歌う形式であったが、最近はカラオケボックスも普及して、気楽に一人でも利用できる時代になった。
それを「ヒトカラ」というそうであるが、私もよく利用するようになった。
最近気がついたことは、マイクを通すと、少々の音程の狂いがわからなくなるので、肉声で歌ってみると、わずかの音程の狂いがはっきりわかり、非常な違和感を感じる代わりに、ピタリとはまると、めくるめくような快感を味わうことができることがわかった。まさしく、Wine,woman,and song,these three garnish my way.のsong版である。
歌だけでも愉しいが、音楽に合わせて踊ることも、古代から人間が愉しむ代表的なものだ。もちろんこれとて、音楽に合わせて上手に踊れれば喜びはさらに増すことは間違いがない。そこで、ダンス教室に通うことになる。私が初めて入ったダンス教室は、年金生活社者を対象としたサークルで、48人もの大人数だった。
大学時代から、先輩から教えてもらったり、見よう見まねで、まねごとのダンスは踊れても、愉しむにはほど遠いもので、練習によって何とかもっと上手くなりたく入会したものだ。
これまでに取り組んだダンスの種類は、学生時代に体験した、ジルバ、ルンバ、マンボ、ブルース、ワルツ(少し)、タンゴ(ほぼ0)に加えて、スローフォックストロット、クイックステップ、チャチャチャ、サンバ、ジャイブ、パソドブレ、サルサと多岐に及ぶが、学生時代のダンスと根本的に違ったのはルンバだった。学生時代はいわゆるボックスルンバで、1,2,3,4のリズムで踊るのだが、キューバンルンバというのは、2,3,4,1のリズムで踊るもので、慣れるまで、スタートにとまどったものだが、慣れるとまことに気持ちが良い。
そもそも、音楽に合わせて踊るだけでも愉しいのに、他人と体を合わせて、しかも、その他人が異性であれば、愉しいに決まっている。しかし、それも、上手いに越したことがない。そのために練習を重ね、今年で15年ほどになる。どんな習い事でも10年やればかなりのレベルになるのだが、まだまだ覚束ない。
それには理由がある。それは、次から次へ新しいステップの練習が入るから、基礎的なステップの徹底的な習得がなされないまま、新しいステップに取り組むため、すべてのステップが初心者のままとなってしまうからである。それを、指導の先生に訴えたところ、それは尤もであるが、基礎を重点にすると、生徒に飽きられて、やめられてしまう。どこの教室もそれは同じ悩みだとのことであった。プロになるわけじゃなし、すべての習い事に共通していえることであろう。
それでも、それなりに愉しいことにちがいはない。Wine,woman,and song,these three garnish my way.の曲がりなりにもwoman,and songが入っているわけだから。
最後の酒についても、私はここ20年以上アルコールを抜いた日は記憶にない。世の中の医者は週二日の休肝日を設けよとうるさいほどだ。
一方、酒は百薬の長とも言われている。それをなぜ週二日断たねばならないのか、二日酔いになるなど飲み過ぎは体に毒だから、断酒の日が必要というならわかる。
百薬の長といわれる程度のアルコール(人によって適量は異なる)だったら、むしろ、毎日欠かさず摂取するべきであろう。そして、毎日書かさず摂取することが、生体のリズムが確立し、健康維持につながるはずだ。長寿の老人にその秘訣はとインタビューすると、毎日欠かさず晩酌しているからと答える場面を何度か見ている。
私も定年退職して17年、毎年定期健康診断を受診しているが、肝臓の機能はすべてのデータが基準値以内で、現役時代はすべてが基準値オーバーであったことと比較すると、如何に適量のアルコールが健康維持に重要かがよくわかる。つきあい酒は晩酌とちがい健康に悪いから、週二日の休肝日を設けよというのが必要になるということだろう。
現役時代に、職場の知人がまだ30代というのにガンで亡くなった。自覚症状は何だったかを問いたところ、好きなビールがあまりおいしくなくなったということで、精密検査を受けたところ、ガンが発見され手遅れだったと伝え聞いた。
私はそれ以来、晩酌でビールを飲むたびに、大げさでなく、「生きていてよかった」と喜びをかみしめている。
結局、高校時代のマジック書き Wine,woman,and song,these three garnish my way.のとおり、毎日を生きていることになる。