私と映画

新型コロナウイルス感染の拡大防止のため、世の中は、不要不急の外出の自粛要請が続いており、家でテレビを見る時間が増えている。

テレビ番組も、そんな情勢に合わせて、昔の映画を放送するようになったので、暇に任せて、録画しておいた映画を見ることも多くなった。

昔見た映画を、再び見て思ったのは、内容をほとんど覚えていないということだ。「ガンヒルの決闘」では、最後の駅の列車の脇での決闘シーンははっきり覚えているくせに、何故、決闘しなければならなかったのか、全く覚えていない。また、「雨に唄えば」では、主人公が土砂降りの雨のなか、こうもり傘を持ち踊る姿がまざまざ思い出せるのに、それ以外、何も覚えていない。おそらく、それ以外のシーンでは居眠りしていたのではと思うほど、覚えていないのである。昔といっても、高校生以降だから、まるきり子供でもない。

確かに、小学校低学年で見た映画は、「禁じられた遊び」にしても、暗い白黒映画で、しかもぼやけた画面で、男女子供がままごと遊びしている画面と、飛行機が低空で機銃射撃する画面しか覚えていない。また、「風の又三郎」という映画では、少年が、木に登り、“どーどーど どーどど 甘いリンゴを引き飛ばせ 酸っぱいザクロも吹き飛ばせ”と唄うシーンをメロディーまで含めて覚えているのに、それ以外の一切の内容を覚えていない。覚えているシーン以外は居眠りしていたということだろうか。

しかし、小学校4年生の時見た「十代の秘密」は、大学のテニスサークルの夏合宿で、主人公の女性と監督ができてしまい、妊娠してしまい、生むか堕ろすか悩むが、ある出産シーンに遭遇し、命の尊さに気づくというような内容であった。

小学生がなぜそんな映画を見たかについて書くと、当時田舎では、「農繁休業」というのがあり、田植え時期と稲刈り時期に10日間ほど、家の農作業の手伝いのため、学校が休みになったのだった。そして、田植えが終わった7月の第一日曜日は「農休み」といって、村中が、ごちそうを食べ、子供たちは上田の街で映画を見たり、遊んだりするのが常であった。一緒に行った学友二人には、その日、子供たちが誰もが見ただろう「砂漠は生きている」と「ダンボ」は子供っぽいからやめようと、むりやり説得した。しかし、それを見たあと、その映画を上映している映画館を訪れて、様子をうかがっていると、ちょうど、一連の映画が終わり観客が大勢出てきた。その混雑に紛れて入場してしまった。なんという悪知恵。生涯にこれ以上の不正を働いた経験がない。結局、普通の子供が見る映画も一応見ることができた。

その日の夕ご飯のとき、何という映画を見たかの話になり、「トヨの秘密」と答えると、当時、高校生だった長姉は、“ばかだな、あれはじゅうだいって読むんだ”と教えてくれた。ちなみに、3つ上の兄の見た映画は「鳴門秘帖」という時代劇であった。

そんな思い出があるので、先月、久しぶりに田舎を訪れた折に、近くの温泉の大衆浴場で、あのとき一緒に「十代の秘密」を見た学友に60年ぶりに、脱衣所で偶然出会ったので、その話をしてみたところ、全く記憶にないということだった。彼にしてみれば、訳もわからない映画にむりやりつきあわせられ、さぞかし、迷惑したということだろう。

そんな私であったが、高校入学したとき、クラブ活動の選択にあたっては、私の入学と同時にその高校を卒業した兄に、一番与太者のクラブはどこかを問いたところ、「映画クラブ」だという。放課後には、部室の窓からタバコの煙が見られるとのことだった。それを聞いて、「映画クラブ」に入部することにした。クラブは3年生4人、新入生が私を含め二人のこじんまりしたクラブだった。そのクラブでは、市内の洋画専門の映画館の割引券を校内の生徒に頒布する見返りに、何人かが無料で映画鑑賞できる制度があり、それが魅力で、早く3年生になりたいと思った。ところが2年生がいないのだから、その願いは、早くもやってきた。

映画はおおむね一週間で上映するものが変わる。すると、一週間に一度、午後の授業をサボって映画を見に行くことになる。水曜日に変わることが多いので、毎週水曜日の午後、頭痛を理由に早退を繰り返していたところ、とうとう担任の教師から、“池田は毎週、水曜日になると、頭痛がするようだな”と指摘されてしまったが、それだけだった。要するに自己責任ということであろう。

高校時代に、一度母を誘い映画鑑賞したことがあった。「カラマーゾフの兄弟」という、ユル ブリンナー主演の映画であったが、内容はほとんど覚えておらず、家に帰ってから、母からいろいろ解説してもらった記憶がある。漫然と見ていて理解が浅かったのか、それとも、途中居眠りが多かったのかは、今でもわからない。

しかし、映画を見ることは好きで、大学時代も実にたくさんの映画を見た。高校時代は、無料鑑賞の特権を駆使して、見た映画はほとんど、洋画であったが、大学時代では、当時日活ロマンポルノや任侠モノの全盛の時代でもあり、多くの日本映画も見た。何がおもしろかったかは、思い出してみるが、これといってないが、それなりに愉しんだ記憶は残っている。

そして、大学卒業しても、映画好きは変わらず、暇を見つけては映画館に通っていたが、ある映画がきっかけで、映画をほとんど見なくなってしまった。

それは、「卒業」という映画で、花嫁を式場からさらって逃げるという荒唐無稽さ、そして、「ある愛の詩」での恋人を急な病によりわずか一年で亡くすという、あまりに見え透いた悲劇につくづくうんざりしたからだ。しかし、どちらの映画もそのテーマミュージックは爆発的にヒットした。最近の映画はこんな映画を評価する時代になってしまったのだ、私の好きな映画の世界はもう終わったしまったのだと感じたのだった。

その後、あまり映画を見ることがなくなったものの、「ドクトルジバゴ」とか、「病院で死ぬということ」は結構、内容まで覚えている。「ドクトルジバゴ」はテーマミュージックもヒットしており忘れられないし、「病院で死ぬということ」は、がん患者の末期医療をどうすべきかを、本当に考えさせられる映画であった。

あれ以来映画を見た記憶がない。

そして、最近、新型コロナウイルス対策で、外出自粛中に、テレビで昔懐かしい映画を見ることが多くなったが、あまりに殺人シーンが多いということが気になって仕方がない。しかも、主人公は絶対に死なずに、必ず最後に、敵を倒す。主人公がやられるのは、カークダグラス主演の「ガンファイター」しかしらない。ただし、愛する少女へ捧げるために用意していた花束が最後に風に揺れて、死体を飾っていたシーンは、かなり美化してはいた。

西部劇の殺人は、銃一発で、あまり残酷さを感じないが、「ゴッドファーザー」あたりでは、あまりにリアルで、気分がわるくなるシーンが多い。日本のチャンバラ映画でも、刀で一刀のもとに斬り倒すシーンでも、血が噴き出すシーンはあまりない。初めて取り入れたのは、黒沢 明監督だっただろうか、リアルを追求の結果だろうが、それにしても、殺人シーンが多いのは、それだけ観客が喜ぶからとしか思えない。

人間の心の奥底には、殺人をしたいという欲望が隠れているあらかもしれない。それなのに、殺人シーンが嫌いになったのは、年のせいもあるかもしれない。

いずれにしても、映画は、普通の人間の日常では経験できないことを表現して、愉しませる芸術であることに、間違いはないようである。