ある一日(2020.7.13

 

夜中の3時頃、肩に感じる痛いほどの寒さに目が覚めた。夏は、エアコンは27度設定でつけっぱなしで、ランダム首振りの扇風機もつけっぱなし、その代わり、長袖のパジャマで寝ているが、タオルケット一枚で、両腕はタオルケットの外に出しているため、肩は外気に触れ、痛いと感じるほどの寒さを覚えながらも、同時に胸は汗をかいており、それを吸い取るために、タオルを胸にあてて寝るのが常であるため、肩が寒いのは当たり前なのだが、この日のそれは尋常ではなく、下半身まで痛みを覚えるほどであったため、念のため、タオルケットをやめて、ダウンケットに変えてみたところ、胸の汗が増えることもなく、なんとか再び眠りにつくことができた。朝、目覚めて室温を確認すると、23度で、外気温はスマホで調べると、19度であった。これでは、寒いのは当たり前である。昨日は昼間、33度までの酷暑日であったため、油断した。窓は開け放して、網戸だけなので外気温に左右されていたのだ。

昨日は、梅雨の間のまれな晴れ日であったが、畑はべたべたでジャガイモ掘りもわずかしかできなかったので、今日はなんとか残りを掘りとってしまわないと、今後もずっと雨が続くという予想なので、今日の天気予報が気になってしかたない。

6時前に、テレビの天気予報を確認すると、曇りだが、15時頃から雨だという。何としてもそれまでにジャガイモだけは収穫を終えなければならない。それに、畑は雑草が覆い尽くしてしまっている。何とかしなければ。

朝6時のニュースでは、コロナウイルスと九州洪水のニュースばかりである。6時半のラジオ体操まで、腰痛体操をしながらテレビを見ていると、胃瘻をしてまで生きるかどうかの思い話題を取り上げていた。事前にアンケートをとると、胃瘻までしての生存は望まないという意見は多いが、認知症などで本人の意思が確認できなくなると、残された家族が、何とか助けてあげたいといって、胃瘻を選択することが多いようである。72歳の認知症の主人を15年にわたり面倒を見ている主婦の例を紹介していた。主婦は70歳、主人は72歳だと言うが、顔色はつやつや、栄養状態も良く、とても病人の老人には見えない。この女性もまだ70歳で元気だが、80歳を超えて、面倒を見れなくなったら、どうするだろうか。介護殺人という悲惨な結果だけはおこしてはならない。

そんなテレビを見ながら、腰痛体操を終えた。

わたしの腰痛は脊柱管狭窄症というもので、医者通いが続いているが、一時、医者から、100メートル歩けなくなったら、手術を考えましょうといわれていたが、手術しても直るのは5割程度で、しかも、再発がないわけでもないという。何とか体操で治そうといくつかの本を読んだり、試した結果、一回目は、PNFで、二回目は反マッケンジー体操で、今回は、スクワット、腹筋運動を取り入れた筋肉強化体操でのりこえた。単なる腰痛ならともかく、神経にさわる病的な痛さは、寝ていてもしびれを伴い、それこそいっそ死んでしまいたいと思うほどである。一回目と二回目の体験談は、このホームページでも紹介している。

腰痛体操も終わり、ラジオ体操がはじまった。体操開始前のラジオ体操の歌の間にスクワット50回を日課としている。ラジオ体操を始めて10年以上になるが、室内で跳躍体操だけはごまかしていたが、先日のテレビで、骨の衝撃刺激が、人体の免疫にも影響があると知って以来、積極的に跳躍運動を行うようになった。

ラジオ体操も終わり、朝食の準備を始めた、朝食で注意するのは、納豆と、味噌汁は必ず摂ることである。とはいっても、毎日同じ者を摂取するには、かなり工夫がいる。納豆では、卵のほかに、エゴマ油、錦紫梅(うめびしおと読む)を少々入れると毎日食べても飽きない。味噌汁は一人前を毎日作るのはかなり面倒だ。そこで、即席ワカメスープに干しシジミを少々、さらに手前味噌を一サジ入れて、大きめの椀一杯の味噌汁とすると、便利でしかも結構うまい。そのほかは、干物、練り物などだが、最近の干物のまずさったらない。輸入魚を安価な精製塩で、しかも最近の風潮に合わせて減塩、そして冷風乾燥といういわゆる文化干し。こんなのは干物ではないということで、一度、テレビのコマーシャルで、銚子漁港でとれた魚の、こだわりの干物というのを取り寄せてみたことがあったが、結果は、生涯で食べた一番まずい干物であった。それ以来、干物は時々サバ干物くらいしか食べない。あとは、チリ産鮭くらい。チリ産鮭は、現地で塩するせいか、まあまあの味がする。

今日は、歯医者の予約日である。

10年ほど前に入れたインプラント2本を隣の自分の歯に抱き合わせてあったのが、劣化で自分の歯が抜けてしまったので、ダミーを一本尽かして、さらにその隣の自分の歯に抱き合わせにする治療を行っている。ところが、それは何とか終わったもの、インプラントと対応する上の歯が二本のかみ合わせがうまくいかないから、その二本を義歯に置き換える方がよいというので、治療を続けているが、もう5ヶ月にも毎週通っているのにまだ終わらない。腹に据えかねて、一体いつになったら終わるのか問いただしたところ、やっと、本型どりにこぎ着けた、いったい、これまで何回も型どりをしたのは何だったのだろうか。まあいいか、任しておこう。

歯医者が終わり、畑に急行するのだが、草に埋もれた里芋に追肥して土寄せをするために、化成肥料をホームセンターに行き求めた。

畑に着くと先ず、うどん粉病で葉が白くなってしまったカボチャがきになった。午後には雨だというので、それまでの時間を確保するために、ジャガイモ収穫に先立って消毒することにした。

さて、ジャガイモを掘ってみると、やはりべっとり土がついている。何とか乾燥して、冷暗所に保存しなければならない。

曇天のため乾燥にも時間がかかりそうだ。

乾燥しているあいだに、里芋と、大豆の雑草取りと土寄せをしなければならない。除草後、畝の間を耕耘機でたがやし、それを株の根元に土寄せするのだが、何しろ雨が続いたため土がべっとり重く、耕耘機作業はともかく、土寄せが何ともつらい。1メートル作業しては5分休むという案配で、作業が遅々として進まない。

しかし、苦労した甲斐があって、新鮮な土にしっかり支えられた大豆、里芋の畝を見ると、とても満ち足りた気持ちに満たされる。これがあるから、やめられない。誰かのために苦労するのではなく、例え植物であろうと、面倒を見てやったという喜びはおなじであろう。

そうこうしているうちにジャガイモも乾いたようであるので、裏返してさらに乾燥するがなんとか、雨が降り始める前には、収納できそうで一安心だ。

ふと、キュウリ、ゴーヤの棚を見ると、葉が下の方から黄色くなってきている。特にゴーヤがひどい。半分くらいが黄色になってしまっている。なぜだろうか、考えてみた。雨が続いて土が完全に水に浸ってしまい、根が呼吸できなくなっているのではと推測し、株の周りを掘り下げ、呼吸を促すこととした。ゴーヤはそもそも沖縄など熱帯性なので、乾燥には強くても、水には弱いと想定したのである。

それにしても畑中の雑草の繁茂がひどいといったらない。ほとんどが、メヒシバ、エノコログサ(俗にいうネコジャラシ)、ヒエである。隙間なくびっしり密に膝丈以上の高さに成長し、カボチャ、スイカの葉は雑草に隠れて見えない。これでは、ほとんど収穫は見込めない。お隣さんの畑では、ご夫婦で雑草取りで、きれいさっぱりとなっているので、せめて、その境界付近蔵はと、エンジン刈り払い機で始末したが、カボチャ、スイカのツルの間は、わずかしか対処できない。しかし、見ると大きな黒玉スイカがゴロンと一つ目に入った。太さ20センチ、長さ30センチほどある。中玉だったはずが、かなり大玉だ。早速収穫したずっしりと重い。味はどうだろうか、たのしみだ。

果樹のソルダムも本来、この時期に熟れるはずなのだが、今年、プロに教えてもらった、受粉作業を行ったにもかかわらず、一つも実をつけないとあきらめていたが、よくみるといくつか、ほんのり色をつけているのをみつけた。早速味をもたが、本来のソルダムではなく、受粉の結果ではなく、原初の実が熟しただけのようである。それでもまあまあである。木は20年以上の大木だが、過去に味わった数は、何とかできたのが2つか3つである。世の中で一番好きな果物として当初から植えたが、まだできたことがない。

畑に自然に芽生えた赤紫蘇がそだってきたので、今日は、それを刈り取り、家に準備中の錦紫梅(うめびしお)にもみ紫蘇にして仕込む予定である。うめびしおとは、水戸 斎昭公が偕楽園の落ちた梅の活用法として、住民にすすめた製法で、熟した梅をつぶして塩にまぶして、紫蘇を加えることによって、梅本来の味を楽しむものであり、私は、これを知ってから、30年以上毎年作っている。納豆や冷や奴など何にでもちょっと加えると、あっと思うほど新鮮な驚きの味になる。

白瓜も手頃なのが2本とれた。本来、奈良漬け用なのであるが、ぬか漬けもうまいので、帰りにぬか漬け用のヌカを買って帰ることとした。毎年同じぬかを購入しているが、そのまま使えて、すぐおいしいのがありがたい。商品名、河村さんちの「鉄粉ぬか床」である。

帰りの途中、養鶏農家に立ち寄り、産みたて卵を買うことにした。アスタキサンチン強化による「プレミアムレッド」が購入できてラッキーであった。

新じゃがを味わうには、蒸かして、手前味噌をつけたり、塩辛をつけたりして食べるのも旨いので、スルメイカを買おうとスーパに行くと小型のイカが一パイ300円である。普通サイズのイカをここ何年かみたことがない。日本海のイカ漁場の大和碓が、中国、北朝鮮の船に荒らされて、不漁が続くためといわれている。何とも迷惑千万なはなしである。

買い物を終えて外に出ると、雨が降り始めた。15時頃から雨という予想通りである。正確になったものだ。

家に着くなり、先ずは、イカの塩辛作り、イカが小さいからワタもいくらもない。また、茶色でなく黒っぽい質の悪いワタもあり、上出来とは行かないがなんとか、作り終えた。塩辛だけは市販のものはまずくて食えない。

そろそろ、夕飯のしたくだが、挽肉と、豆腐があったので、麻婆豆腐にすることにした。だけど、あの中華味の麻婆豆腐では、甜麺醤は置いてないし、あの単純な味はなんだか魅力を感じない。今年は、タマネギと満願寺シシトウが方策なので、これらを炒めて独自の麻婆豆腐にチャレンジすることにした。不思議な味ではあるが、それなりにおいしい。前回はとろみ付けに片栗粉がなかったので小麦粉を使ってみたが、やはりうまくない。

晩酌は、もう何十年と欠かしたことはない。量は、ビール大瓶1本、吟醸酒グラス1杯、赤ワイングラス1杯ていどであるが、毎年の健康診断でも、肝機能は現役時代より改善傾向にあり、すべての数値が基準値以下を維持している。さすがに担当かかりつけ医も、このまま維持してくださいとして、休肝日など言われたこともない。

そして、たまに物足りないときは、梅酒をたしなむ。今日も、気なっていた畑仕事をすべて成し遂げた充実感と疲労感から梅酒を追加した。

そのせいか、今日のカラオケテーマに石原 裕次郎を選んだのだが、元々がムード歌謡が主体であるためもあり、しっかり発声した実感がない。定番の「銀座の恋の物語」「赤いハンカチ」「夕陽の丘」「恋の町札幌」「夜霧よ今夜もありがとう」などは何となく歌いたくない。せめて、「錆びたナイフ」「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」「鈴掛の路」「別れの朝」など歌ってみたが、酔いが回ったか、十分発声ができないばかりか、目を開けているのも難しいほどの有様だ。今日の労働の疲労もあるかも知れない。最後に最近のラジオ深夜便で聞いた「さよなら横浜」を探したが見つからないので、検索で探したらたくさんヒットした。

なかなかいい歌だ。3番まですべての歌詞の最後に、“他人同士になる前に”とあるのもどこかしゃれていていい。

私のカラオケは、Amazonで購入したガジェット firetvstick 4kを用いて、ユーチューブをテレビに転送し、音はデンオンの別スピーカーで再生、しかし、マイクは使わない。部屋の中で音量を必要としないこともあるが、何よりマイクを通してしまうと、微妙な音程の狂いがわからないため、旨く歌っても、少々狂っていてもあまり違いが感じられないからだ。ましてや、エコーを効かしたら元歌の味がほとんどわからなくなってしまう。その代わり、マイクを使わないと肉声そのものが、音楽にぴたりと合ったときの快感

たらない。その逆に少しの音程のズレもすぐに違和感としてとらえられるので、ありがたい。

最後に、「さよなら横浜」を歌って、気持ちよく眠りについた。

それにしても、長い一日であった。