新型コロナウイルス対策

新型コロナウイルス対策として、国として緊急事態宣言により、5月6日まで、企業には休業やテレワークを、そして個人には不要不急な外出自粛が求められている。

しかし、企業活動の低下は経済の縮小に直結し、零細な企業では、従業員の収入の低下どころか、失業や、家賃や公共料金の支払いもできずに倒産の恐れさえある。

感染拡大の防止のために、どこまで自粛するかは、企業や個人の判断に任されているため、それでは生ぬるいから諸外国のような強制措置を執るべきだという意見もある一方、日本人は民度が高いから強制されなくても、それに従うのが大多数だという意見もある。

一方、毎年インフルエンザで1000万人ほど感染し1万人に近い死者を出していることと比較すると、いくら、新型で、ワクチンや治療薬が未開発とはいえ、経済活動を制限するほど、重大問題なのか疑問視する声も良く聞く。今年のインフルエンザ罹患数は感染開始初期の昨年12月時点では例年よりはるかに多くて、危険視されていたが、新型コロナ騒動で、自粛や注意が行き届いたのか、例年より3分の一以下で、4月は収束してしまった。

自粛と言っても日常生活に直結するものは除外されているので、スーパーなどは通常以上の混雑ぶりである。政府もすべて自粛ではなく、8割の接触削減を目標に掲げている。

8割削減は理想であろうが、それを業種によって決めつけるのはどうかと言う意見を主張したい。自粛要請であるから、自己の店が3密にあたるのか、また、国の8賄接触削減を達するためには、自分の店は閉めるかどうかを、お上に決めてもらうのではなく、自分で判断すべきではないだろうか。それが民度の高い国のやりかたのはずだ。

こんなことをいうとすぐに抜け穴だらけで、何の効果も期待できないという反論が必ずある。

たとえば、パチンコ店に営業自粛を求めているが、従わない店もあるので、今後、そのような店の名を公表すると脅しをかけている。自粛すべきは営業ではなく、そこへ行く客ではないだろうか。たとえば1台おきに遊ぶとか、それ以上に3密になりそうだったら帰ってくるとかすればよいはずだ。

それを個人の自粛に任せていたら効果は期待できないからと、自粛ではなく強制力を持たせるべきだという意見もあり、そうしている国も多い。しかし、たとえば法律で禁じて警察がどんなに防止に努めていても、殺人という凶悪犯罪さえ完全にはなくならないのが人間社会だ。ましてや、ウイルス感染に全く関係ない不用不急の外出禁止など守れる訳がない。要は、一人ひとりが感染しないような行動をとることであって、外出して他人と接触させなければ防止できるというのは、自動車をなくせば、交通事故を減らせるというのと同じである。それをあえて強行することは、個人の自由を奪う全体主義の危険な方向につながるおそれがある。危機の時、社会は強いリーダーを求めることは、歴史が証明している。ヒトラーがよい例である。ヒットラーが悪いのではなく、民衆がそのようなリーダーを望んだのだ。

他県を訪れるのも自粛というのもわからない。3密を避けることは理解できるが、他県を訪れることと何の関係があろうか。まだ感染者が0の岩手県知事が他県からの訪問自粛を求めるのなら、理解できないこともないが、日常生活に必要なものの県外からの受け入れを遮断する訳にもいかないはずである。

その結果、少々ウイルス感染終結が遅れてもやむをえない。所詮死亡率が普通インフルエンザより少し高い2%程度の感染症であるから、他のいろんな流行性感染症の一種ととらえるべきで、これだけを新種だからといって、人間の自由まで束縛するほどの重要な扱いとするべきではない。

しあし、感染しても無症状であったり、軽症であったりする一方、高齢者や持病があると重症化したり、死亡率が高かったりするそうだから、それに相当する者は、自分の問題として、3密を避けるなど感染防止に努めることは、強制されなくても行うはずである。その結果として、感染の減少と死亡数の減少をめざすべきであろう。

感染防止か経済活動優先かの二者択一ではなく、できるだけ努力でよいのではないか。そのうちに、ワクチンや特効薬の開発や、国民の大多数感染の結果としての免疫が生まれて収束を迎えることだろう。