理解を超える韓国の行動原理
ケント ギルバート氏の「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を読みました。
この本のタイトルで、中国人と韓国人は儒教に支配されているとあるが、本当だろうか。そんなに立派な教えに基づいているのだろうかと、まず疑問に思った。儒教といったら、仁、義、礼、智、信といった崇高な心根を尊ぶ、偉大なる孔子の教えであるので、その教えに支配されることは、すばらしいことであり、日本の武士道にも匹敵するのではないか、と思われたからである。
ところが読んでみると、孔子の教えのなかで、ある村の若者が羊泥棒の父親を訴えるべきかどうかの問いに対し、親を訴えるのは正直者とは言えないと諭した逸話を取り上げて、しかも、長い歴史で、仁、義、礼、智、信はほとんど捨て去られていたと、氏は記載している。
現在の中国、韓国の行動原理はすべてその思想の延長上にあるというような内容であった。
これでは、儒教に支配されているのではなく、儒教の教えに背いたと表現すべきではなかろうか。
羊泥棒の逸話にしても、孔子の教えに従っているというよりは、単なる身内びいきでしかないと思うのだが。
そのほか、例示したニュースになった、さまざまな内容について氏が解説している内容は、すべて私と同感であり、あたかも自分の文章を読んでいるような錯覚さえ覚えた。しかし、その原因を知りたかったのであるが、儒教が原因だなんて、あまりに持ち上げすぎではないだろうか。
韓国の行動原理をもっとも印象づけたのは、わたしは、セオル号事件だとおもっている。
日本から輸入した中古の船を、日本の警告にも関わらず、積載荷重の大幅増加改造を行い、座礁沈没に際しては、船長が真っ先に制服を脱ぎ捨て、一般乗客になりすまして、救助され、ホテルでは先ず濡れた紙幣を乾かす。船内では、混乱を避けるため、ただただ、船室にとどまるよう放送し続けた。救助の方は、組織の権限で対立し大幅な遅れを惹起。また、そのときパク クネ大統領は7時間もの間所在不明。さらに、セオル号オーナーは行方をくらまし、その後死体で発見(本人かどうか)。
この顛末を見ると、韓国人の行動原理が、浮き上がってくる。
どんな高度な役であろうが、いざというときには、どんなウソをついてでも、その時点での自分の利益、都合を優先するということだ。ふつうは、役職の義務や責任、しいては、恥や外聞により行動は著しく制約されるものであるが、それらは一切感じられない。
それが、自国内のことだけならば、どうぞご勝手にと言いたいところであるが、外交問題となるとそうはいかない。
昨年中国が行った反ファシズム抗日戦勝利70周年記念行事にパク クネ大統領は招待された。日本がファシズムだというのもおかしいが、戦勝というが、日本が戦ったのは国民党であり、共産党はその間の漁夫の利を得たに過ぎない。中国が戦いで勝ち取ったのは国民党に対してであり、その結果建国は1949年10月1日である。また、韓国は日本と戦うどころか、日本軍の一部として戦ったはずである。
さらに、韓国と中国は休戦状態にあり、戦争が終わったわけではない。
それなのに、何が記念式典だろうか。そこへ招待され参列することに何の抵抗感もないことこそが、韓国の本質を表している。何の思慮もなくそのときどきの思いつきでしかない。
この思いつきでしかない行動原理は外交ではきわめて深刻な事態を生むことを忘れてはならない。
そう、あの「閔妃暗殺事件」である。
宮廷内で26代王高宗の妃閔日はロシアと親しくなり、それまでの日本との取り決めを、気の赴くままに変えてしまうことに、危機感を持った日本大使館関係者に暗殺される事件で、結果的にそれは日露戦争まで発展してしまう。
日露戦争を必死になって戦い勝利した日本は、結局、韓国を併合してしまう。しかも、それは条約によってであり、戦争の結果ではない。戦ってはいないのだ。
そして、併合後は、産業の発展、インフラの整備などため、多大な投資が行われると共に、教育の充実のため5000校以上の学校や、鴨緑江水力発電で60万キロワットは現在も稼働している。
もちろんその陰には過酷な労働を強いられたかもしれないが、すべては発展のためであった。
そして昭和40年には、「日韓基本条約」で多額の補償(現在価値で1080億円分の供与と720億円の低利融資)と、朝鮮半島に残置した設備の放棄を引き替えに、一切の国、個人の補償請求権を放棄することで合意した。それにより「漢江の奇跡」と呼ばれる一大発展を成し遂げた。ところが、そのことを知っている韓国の若者はほとんどいない。それは、教育で取り上げていないためである。日本のおかげというのは、国家的タブーになっているのだ。そんなことを口にしようものなら、政治家だったら、親日として直ちに糾弾されるし、国民だったら、国賊の汚名を着せられる。
しかし、条約に定められている以上は補償請求は出来ないが、慰安婦問題は人道上の問題だから別といって、言いがかりを付けている。しかし、この問題も元を正せば、朝鮮の若い女性を拉致して、慰安婦として虐待したとの、朝日新聞の報道から端を発したものである。その後朝日新聞はそれを誤報として訂正したものの、慰安婦問題は下火になるどころか、世界に広めようと躍起になっている。
この問題も昨年、パク クネ政権のもとで、最終的に不可逆的に解決という合意に達したものの、政権が変わったら、合意形成過程に不備があると、イチャモンをつけてきた。どんな条約であれ、政権が変わったら破棄では、国際関係はなりたたないことは、子供でもわかると思うのだが、平気でそんなことができる神経が理解できない。その原因は儒教に支配されているからとは、とても思えない。
単に、そのときの利己的思いつきで、それがどれだけ重要で、どれだけ影響をおよぼすかなど、全く考えていないことは、上記のような歴史上のできごとを見ても想像がつく。