グローバリズムの終わり

 

 30年ほど前に、アメリカの経済学者、フランシス フクヤマ氏による「歴史の終わり」という本が世界の話題を集めたことを思い出した。

 世界の価値観は、民主主義と自由経済が勝利し、民族、宗教、政治形態を問わず、争いもなくなると予想するような内容だったと記憶している。そして事実、中国の自由経済への転換や、ソ連の崩壊はそれを証明しているように思われたものだった。

 そして、その頃だったと思うが、我が東京電力社長が、会社というものは、株主を意識した経営こそ第一とすべきだと、言い始めた。私は、それまで、社会に貢献することこそ重要であり、その会社は社員のものであると、当たり前のように思っていたので、衝撃であった。株主などは、その企業活動のおこぼれを得るのであり、そのおこぼれの最大化が企業の行動原則のトップだということなど、到底理解できないものだった。

 しかし、今振り返って考えてみると、株主利益最大化こそ、資本主義経済を支える基本原理であり、アダムスミスの指摘した、「神の見えざる手」が機能し、世にバランスのとれた効率化が実現し、自立的発展を促すことにもつながっていたはずである。

 その頃である。私の組織でも目標管理とそれに伴う人事評価が導入され、人事評価に基づく報酬が導入された。さらに日常のコスト削減こそ、評価に大きな影響を与えたため、いわゆるアウトソーシングと派遣社員が増えて行った。

 この動きは一会社のことではなく、日本中、いや世界中で進展して行ったのだ。

 そして非正規労働者割合は4割にも及ぶというではないか。そしてコストダウンは人員整理を生み、それに伴い過重労働も社会問題になっている。

 昔だったら、年功序列に支えられ、辛抱すれば、主任、係長、課長、部長と精進し、年をとるに従い、過重労働からは解放され、収入も上がることが保証されていた。

 そして、会社は家族以上であり、会社のためなら、家庭さえ顧みないというのが、日本株式会社と揶揄されながらも、日本の高度成長を支えてきたのだった。

 ところが、上述のとおり、30年ほど前から、世界に御して生き残るには、これではいけないとして、変化が求められた。それがグローバリズムの大波であった。

 株主利益最大化が本当に企業生き残りの決め手であろうか。

 企業利益のみを目指すのであれば、土地代や人件費の安い外国へ工場を移すことが、最も手っ取り早いことは、容易に想像できる。受け入れた国も税収は増えるし、雇用は増えるし、おまけに技術向上にもつながり、大歓迎のはずである。これをうまく利用しているのが中国である。今や、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国に、のし上がってしまった。

 企業の外国進出によって、国内空洞化が生まれるとともに、人件費削減のため、非正規雇用の増加とそれに伴う貧困化が社会問題になっている。非正規雇用ではどんなに辛抱しても、将来、課長、部長への精進はもちろん、収入の増加も望めないのは当然である。

 日本では、非正規労働者といえども、日本人がほとんどであるから、まだ救われるが、これがもし、メキシコ人やアラブ難民であったら、どうだろう。

 アメリカの不法移民の数は1000万人を超えると言われ、その50パーセント以上はメキシコ人だという。かれらは不法故に、非正規労働者ではあるが、アメリカ社会に定着し、家族を支え、朝、家族に見送られて会社に出勤し、それを指をくわえて見ているのが、アメリカ人失業者だという現実は、トランプ氏を暴言とばかり言っていられないことも理解できる。

 ヨーロッパでは難民が押し寄せ、ドイツは一年間に130万人もの難民を受け入れているが、これで終わりではない。住みやすいとなれば、家族ばかりか、親戚、友人やそれを知った者も加速度的に増えることは容易に想像がつく。その中には当然、難民を装ったISなどのテロリストも含まれる。先日のトラックによるテロはその一例であろう。

 人道という価値観が絶対的価値観から、単なるきれい事に成り下がる恐れさえある。

 それが、イギリスのEU離脱から、トランプ大統領の誕生、さらには、EU各国における難民受け入れに否定的な政党の躍進に現れている。

 確かに、グローバリズムが進展するためには、冒頭に引用した、民主主義の価値観や自由経済は、それを支える信頼感があってはじめて、成り立つものであろうから、その条件がなければ、旧態依然とした社会に逆戻りするしかないのだろうか。

 問題の根源はISを除けば、ゴローバリズムが生んだ富の偏在にあるように思う。経済の発展によって間違いなく、個人資産合計は増えているのに、一部の富裕層に偏ってしまっている。アメリカでは1パーセントの富裕層が50パーセントの富を所有しているといわれている。その富の偏在は、労働の対価としての所得の蓄積というよりは、株主利益の最大化に代表される不労所得の蓄積の割合が多いためであろう。だとすれば、その富は社会に還元されるべきであるし、経済が個人消費が支えている社会においては、消費行動を起こす人に還元されるべきであろう。言ってみれば、ヘリコプターマネーである。まさか、現実にヘリコプターでお金を振りまく訳にはいかないから、日銀では次元を超えた金融緩和、たとえば、マイナス金利までやっても効果がないのは、従来手法の延長でしかないからである。

 いっそのこと、生活保護を年収300万円以下の所帯全体に支給したらどうだろう。

 そうすれば、不正受給などの問題もなくなるし、非正規労働者の賃金問題も解決できる。そもそも、極度にロボット化、AI化が進展した世の中で、労働でしか所得が得られない一般庶民が生きて行くには、労働機会がそれを満たすほど存在するとは思えない。

 労働なんかしなくても、憲法で保障される「健康的で文化的な生活」できる社会こそあるべき姿ではなかろうか。カネがないならともかく、1700兆円もの個人資産がある日本なら、いともたやすいことではなかろうか。

 価値観の一大変革が求められている。