安倍首相の靖国神社参拝

 

 とうとう決断して、安倍首相が本日平成25年12月26日靖国神社参拝を決行した。公約に「靖国神社に参拝できなかったのは痛恨の極み」とは言ったものの、中国、韓国はものとより、国内からもいたずらに近隣諸国の反発を招くばかりだと言う理由で反対意見も多い中で、あえて決行したのは、熟慮の結果であろう事は、推測できる。民主党政権時代のような、政治主導と称して、素人が自己主張として行うような軽率だけはなかったことと信じている。それは、アベノミクススなど安倍政権発足当初からの、行動を観察すれば、事前に十分専門家と議論を重ねた結果だと、推測できる。国のリーダーたる者、強力なリーダーシップを発揮することは当然なるも、独善に陥っては、北朝鮮と同じになってしまう。多くの専門家の意見を聞きその上で、国のあるべき方向性を、強いリーダーシップをもって行動することこそ求められる。

 以上の観点から果たして今回の参拝は、どのような評価であろうか。

 まずはNHKの報道は、安倍首相の参拝報道のあとで、「中国、韓国の反発が必至」だと付け加えることを忘れない。起きたことを報道するのがニュースであるが、まだ起きていないことを、ニュースで報道することに違和感を覚えたものである。ニュース解説ならば、解説者の感想だから理解できるが、ニュースそのもので「強い反発が予想される」となぜ追加しなければならないのであろうか。

 靖国神社参拝が、なぜこんなに国際外交問題までになってしまったのであろうか。

 ひとつには、A級戦犯が合祀されているから、参拝は先の戦争を賛美することにつながるという意見であろう。

 A級戦犯の名誉回復は、1952年4月サンフランシスコ講話条約発効後、国民4000万人もの署名と、社会党を含めた圧倒的多数により国会決議が成された結果である。責められるとすればこの国会決議であって、参拝を責めるのは筋違いである。戦没者に対して尊崇の念を持って参拝するのは、当たり前のことで、他国からとやかく言われる筋合いのものではない。

 それでは、外国から反発があったからと言って果たしてA級戦犯を合祀から外す勇気が果たしてあるのだろうか。それこそ内政干渉と騒ぐことであろう。

 A級戦犯を合祀から外せない以上は、参拝を強行するしかないのである。それに反対する国内世論は、単に近隣諸国との融和を言うが、これまで、日本は近隣諸国への謝罪を折に触れ行ってきた。(桜井洋子氏よれば56回)それでもさらに歴史認識が足りないと、さらなる謝罪を求めてきている。謝罪すれば済むのではなく、謝罪の先にはさらなる謝罪に伴う行動が求められることになり、それは1000年経過しても変わらないとは、先の韓国のパククネ大統領の言葉である。

 謝罪すればするほど蟻地獄のように、属国になるまで反発は強まることであろう。

 どこかで一線を引かなければならないと思ってもやむを得ない。

 アメリカは「失望」とのことでるが、それは当然である。アジアは何とか仲良くしてくれとのことであろう。たかが、神社参拝くらいで外交をこじらせてほしくないということであろう。神社参拝くらいどうってことないじゃないか、というくらいの認識であろうことは容易に推測ができる。

 それでは、中国。韓国との融和を目指した民主党政権時に果たして、好転したであろうか。尖閣問題など逆に悪化したと言える。要するに外交は油断すると足下を見られるというべきだろう。

 情報機関を持たない日本は、東アジア共同体構想などと単に口先で発表しているだけではつけ込まれるだけと思った方がよい。

 その点では安倍首相、積極的に外国を訪問するなど、口先だけではない行動をしつつの今回の参拝なので、民主党時代のようなその場限り思いつきではない、熟慮の結果と思いたい。どっち道歴史認識が足りないと責められ続けられるのであれば、他国の顔色を覗って、参拝を見送ることは、それこそ「痛恨の極み」であろう。

 ところで、なぜA級戦犯が昭和53年に靖国神社に合祀されたのであろうか。日本国内での名誉回復がなされた以上当然といえば当然であるが、悩まなかったのだろうか。

 1966年から72年にかけて、最初はBC級戦犯を合祀に当たって慎重を期して行われ、そして78年A級戦犯の合祀がなされた。そのときの昭和天皇が「あの松岡もか」と問うたとのことである。松岡とは、国際連盟脱退や近衛内閣、東条内閣で外務大臣を務め、もっぱらドイツ、イタリアとの枢軸国に近づき「日独伊三国同盟」を主導し、そして同盟祝賀会の帰路には日ソ中立条約をスターリンと電撃的に締結した、あの松岡洋右であり、第一次東条内閣組閣を天皇陛下に奏上にうかがった折りにも、「松岡だけは何とかならないか」と苦言を呈されるほど、陛下は松岡洋右を嫌っていた様子が覗える。それをおもんばかってかどうか、宮内庁は、戦死や刑死ではなく、病死した松岡洋右と白鳥敏夫(イタリア大使)は靖国合祀にはふさわしくないのではとの反対意見を表明していた。しかし結局両名とも合祀にいたったが、A級戦犯合祀が検討されていた1975年の参拝を最後に以降、天皇陛下は靖国参拝を行っていない。偶然かどうか因果関係は明らかにされていない。

 その後1985年中曽根首相が靖国参拝を行ったところ、中国から反発があり、「友人である胡耀邦総書記の立場をおもんばかって以降参拝を自粛した」(中曽根元首相)とのことであった。その中国の反発も、朝日新聞が1985年8月7日付けで「靖国問題」という特集記事を組み、A級戦犯合祀の問題などを報じた一週間後のことであった。

 それ以降「イチャモンをつければ、日本は引き下がる」という状況が定着したのである。

 それにしても、国益を考えれば首相は参拝するべきではないという意見が大きい。

 本当にそうであろうか。

 東京裁判史観から脱却するために、国民4000万人もの署名を集め、全会一致に近い国会決議で戦犯の名誉回復を実現してきた当時の日本の先輩諸兄は、後世の日本人に誇りと自立を取り戻したい一心であったと思われる。それを隣人がいやがる事はしないのが国益だと切り捨ててしまってよいのだろうか。もちろん戦争讃美ではなく、安倍首相は二度と戦争は起こさないという誓いを、英霊に捧げるものと言っている意味を逆に解釈することこそ、イチャモン以外の何物でもない。