くたばれ花粉症

  今年も悪夢の花粉症の季節がやってきた。報道によると、今年の花粉の量は例年の2倍だそうである。人口の10%もの人が花粉症だそうであるが、これは世界と比較してどうなのだろうか。

 花粉症は、生まれながらの体質もあるらしいが、ある歳まで蓄積されて突然発症するというケースが多いようである。私自身も、昭和49年、31才の時に初めて発症した。当時は花粉症という言葉も知られていない時代で、病院に行って診断を受けたものの、こちらが、どんなに風邪ではなくてなにかのアレルギーかもしれないと主張しても、「わかった、わかった、いいからそこへ横になりなさい」といい、下腹部を触診するばかりで、しまいには「はい、けっこうです」といってどっさりいつものカゼグスリを処方されてしまった。

 わたしとしては、当時、三鷹に住んでいて、天気の良い日に神代植物公園に梅の花を見てきた日は特に症状がひどかったので、梅の花粉アレルギーではないか、とまで主張しても、医者には一切取り上げてもらうことができなかったことをはっきり記憶している。

 この医者では駄目だと判断して、違う担当医の日を選んでもう一度受診を試みたところ、耳鼻科へ回され、レントゲンを撮って鼻の骨が曲がっているという指摘をうけ、点鼻薬を処方された。そして目がかゆいというと、眼科へ回され、目薬を処方された。どこへ回されても私の主張を聞き入れてもらうことができなかった。

 しかたないので、薬局へ行ってそれを主張すると、カルシウムの不足ではないかといい、カタセという錠剤を処方された。すなわち、血液が酸性になるアチドージスとかいう病気だというのである。高いクスリであったが、購入してのみ続けてもなんの症状の緩和もないので、再度薬局にゆくと、強弱体質ではないかと行って、「恵命我神散」という薬が効くという。胃腸の薬と書いてあるのに、なぜ虚弱体質に効くのか疑問があったが、わらにもすがるつもりで買って呑んでみたものの何の効き目もなかった。

 要するに、医者も薬局も花粉症というものを知らなかったということであろう。 その後2年くらい経過した頃、ちらほらと花粉症ということばが、世の中に出てきた。その後のデータによると、この花粉症というものは昭和40年代末ころから急激に増えたということがわかった。その原因として、戦後復興を目指して植えられた杉が成木になって花粉を付けるようになったこと、食生活が欧米化して肉食が多くなったこと、食品添加物、経済発展に伴って大気汚染が進んだことなどがあげられていた。

 しかしこれらの理由のどれももっともらしいが、昭和40年代末に急激に増えた理由にはなっていない。どの理由をとっても急激ではなく漸増する理由にしかなっていない。これを指摘した人は誰もいない。

 また、国道沿いに花粉症が多いことに対する理由として、コンクリート上では花粉が降り積もっても蓄積するばかりで、一般大地のように大地に吸収されることがないからだという、NHKのドキュメント番組にはあきれてしまった。ある権威者が発言すれば、こんなばかげたコメントが通用してしまうのは、未開部族におけるシャーマンみたいなものである。

 その点、日光古河病院の院長は、同じ栃木県内の日光杉並木周辺と山間部の小来川地区の花粉量が同じように多量の地区の花粉症発症率を比較して2倍以上の有意差を見出した。そして、自動車の排気ガスが関係しているのではないかという予測を発表している。その後東大でジーゼルエンジンのある炭化物と花粉の相乗によってアレルギー反応を起こすことをネズミで検証して、以来、ジーゼル排ガスの関連がかなり世に知られている時期にも、なお、舗装道路では花粉が蓄積するなどという珍見解がまかり通っていたのだ。

 その後、免疫的にもかなり解明が進み、人の肥満細胞(マストセル)にIgE抗体がとりついて反応が起きるとか、それはまた、回虫を保有している人はその抗体のつく場所に別の抗体がついてしまうために、杉花粉の抗体がつくことができないため、回虫保有者は花粉症にならないことまでわかったきた。

 発症メカニズムが解明されても、その治療または予防方法がない。現代の日本の医療は基本的に対症療法であるため、くしゃみ、鼻水には点鼻薬、目がかゆいには点眼薬、頭が重いには頭痛薬ということになるが、ほとんど気休め程度の効き目しかない。

 ところが一つだけ劇的に効くクスリがあったのだ。その名は「セレスタミン」。 私は昭和58年頃からこのクスリを処方してもらい、かなり症状が緩和した。特に、アリナミンと一緒に服用すると劇的に効いて、自分が花粉症であることを忘れてしまうほどであった。私だけに効くのかどうか、やはりひどい花粉症に悩まされている何人かに差し上げて呑んでみてもらったところ、ほぼ誰にも効くことがわかった。そして、その知人は同じクスリを処方してもらおうとして、かかりつけの医者にお願いすると、「同じようなクスリを出しておきましょう」といわれるか、「とんでもない、あんた、命を縮めても知らないからね」とはげしくののしられた知人もいた。

 その理由はセレスタミンというクスリはステロイド剤が配合されていたからである。ステロイドはゼンソクのクスリとして広く使われているものの、副作用もあることから、注意が必要である。そこで調べてみたのだが、現在の保健医療で認められているステロイド系の花粉アレルギーのクスリは、セレスタミンただ一種だけで似たようなクスリというのは存在しないことががわかった。そして、ステロイドの成人の一日に服用する量を50mg以下に制限されているという。その50mgというのはセレスタミン1錠に0.25mg含まれているので、制限量の1/200である。いくら個人差があるとはいうものの、副作用を恐れて処方しないという量ではない。

 ということは、副作用を恐れてではなく、患者のくせに診断に口を出すなということか、それとも、この時期各製薬会社からどっと届く新薬の試供品が処方できなくなるためかと、邪推したくなる。

 しかし近年、対症療法ではないものがが開発された。それはクスリではなく食品である。数年前に、「日本工業新聞」の新技術紹介欄で、順天堂大学とニッカが共同開発したという、甜茶である。ある種のバラの根から抽出したものらしいが、 肥満細胞(マストセル)の周囲に甜茶の成分がとりついてしまい、IgE抗体が取り付けなくする、すなわち、回虫がいると同様な状態を作り出して、アレルギー反応を抑制しようというものである。さっそく薬局へ行って聴いてみると、すでに各社の甜茶が製品化され、陳列されており、なかでもサントリーの甜茶が人気があるという。何のことはない、ニッカが開発に成功したと、新聞発表しているときには、すでにサントリーの甜茶がよく効くとして、人気が出ていたのであった。以来、私は、セレスタミンではなく、甜茶のお世話になっている。

 甜茶は薬品ではなく食品であるために、薬局よりは健康食品の店に置かれていることが多いようである。   

 ところで、昭和40年代末に急激に増えたアレルギー症は花粉症のほかにアトピー性皮膚炎がある。その理由として、食生活の変化、食品添加物などがいわれているが、単なる状況証拠というよりは、憶測に過ぎない。状況証拠というからにはもっとそれらしい因果関係を指摘しなければならない。 

 私はここで、「塩」の問題を指摘する。

 塩は昭和40年代半ばまでは海水から製塩していたが、イオン交換法により工業的に大量生産する技術が開発された。そこで、昭和45年に法律をつくって製塩法はイオン交換法以外の方法で製塩することを禁止した。したがって、昭和40年代末には日本における塩はすべて、不純物のほとんどない工業塩に取って代わった。この時期と花粉症、アトピーアレルギー症が急激に増加していることと無関係といえるだろうか。世界で工業塩を食用にしているのは日本だけだというから、他国とは比較できないが、同じほ乳類のゾウやライオンが一年に一度はある特定の場所のツチをなめに行くとか、あさりが砂出しにこの塩を水に溶かして用いると翌日にほとんど死んでしまうとか、点滴に用いる生理的食塩水が副作用があるということでリンゲル液が発明されたこととか、子宮のなかの羊水の成分は海水の成分に酷似していることとかを考えあわせると、24種もあるといわれる海水に含まれるミネラル成分が、人間の免疫にかなりの影響を与えていると思われる。昭和40年代後半以降に生まれた子供は、海水からとれた食塩を一度も摂取したことがないことになるが、最近社会問題になっている小児アレルギーと果たして無関係といえるだろうか。真相究明のためにぜひ他の国と比較して欲しいものである。食塩以外は外国とはそんなにはちがいはないと思うからである。

 人間は味付けはほとんど塩味を基本にしているが、味噌、醤油もすべて工業塩を用いることによる、ミネラルアンバランスは長年月の間には、大変なものになる。

 製塩法に関する法律も平成9年4月1日から廃止になって、いろんな自然塩が店頭に並ぶようになったが、基本的には工業塩ににがりなど工業製品を添加して海水塩に少しだけ似せているのが実状である。それでもリンゲル液と同じで添加しないよりは体によいだろうが、諸外国が食用にしている塩にはとても及ばない。

 ヒマラヤの奥地に住む少数部族でさえ、延々とラクダの背で運ばれてきた自然塩を用いているのに、飽食の日本が工業塩とはなんと貧しくも、不健康なことか。

 子供の頃食べた梅漬けがしょっぱいながらもそのあとに、えもいわれぬ風味が口いっぱいに広がったのを記憶しているが、その味は、デパートでどんなに高級な梅ぼしを買い求めても決して味あうことのできない幻の味になってしまっている。ひょっとして、人間は自分の体に必要なものをおいしいと感じる本能がまだわずかながら残っているのかも知れない。コンビニで出来合いの味に完全に征服される前に、わずかに残っている本能の復権が望まれる。