尖閣、竹島、北方領土問題

 

 最近、民主党政権になってからと言ってもいいかもしれなしが、表記3島の領有問題が大きくなってきた。北方領土には大統領が堂々と、「大統領が自国の領土を訪問することは、何の問題もない」とコメントし、それを真似たかどうか、韓国大統領までが、竹島を訪問し、同様な発言をした。まさか、中国の国家主席が尖閣列島に乗り込むなんて事はないと思うが、それも時間の問題かもしれない。その先兵として、民間人が、不法上陸して、逮捕された事件があったが、それは、日本が実効支配している事の証明になった。

 しかし、竹島に上陸を強行する日本の民間人は出てこないだろう。それは日本にそれだけの勇気を持っている憂国の士がいないことかもしれないが、それ以上に、尖閣の場合は、それだけ日本が甘く思われている、すなわちなめられている証であろう。現に、今回逮捕された民間人は、出発に際し、「どうせ逮捕されても、23日、沖縄でラーメンや寿司を食べて帰ってくる」とうそぶいていたと報道されていた。そして、そのとおりの結果となった。これをなめられていると言わず何と言おう。同様なことを竹島で日本人がやったらどうなるかを知っているから、やる人が出てこないだけである。実行支配と言ってもこれだけの差がある。

 したがって、実効支配を許してしまっている竹島に対しては、今回、日本政府は、国際司法裁判所に提訴することを決めた。それに対し、韓国は、当然のことながら、実効支配できているわけであるから、「竹島には領土問題は存在せず」として取り合おうともしない。

 領土問題は存在せずとは、日本政府が尖閣諸島に対しているのと同じである。この態度は、実効支配さえできていれば、領土問題は存在せずとして、国際司法裁判所に判断を求めることを否定することに、つながりはしないだろうか。また、その実効支配が、前述の通り雲泥の差があるとすれば、日本が尖閣諸島について領土問題は存在せずという言葉が、何と虚ろに響くことか。子供が自分の行動を正当化するときの言い訳に似た、あどけないと言っていいくらいのナイーブさが感じられる。領土問題というのは本来戦争でしか解決できない深刻な問題なのに、平和的に、話し合いで、冷静に、粛々という対応で乗り切れるものだろうか。

 この本来乗り切れるはずのない問題を、そのような対応で乗り切るべきだと考えているのが、現在の民主党政権ではないだろうか。

 しかし、前自民党政権も大同小異かもしれない。というのは、1952年に李承晩ラインが引かれたとき、それを許し、1965年になってやっと「日韓漁業協定」によって、周辺海域の漁業権だけ取り返したに過ぎないのは、自民党政権の責任である。それ以来竹島に近づくと銃撃されるという実効支配の実態はそのまま存在している。

 韓国にしてみれば、戦争で支配されていた国が、日本の敗戦によって開放されたのだから、当然竹島もと考え、1951年の「サンフランシスコ講話条約」で、済州島など一緒に竹島も含めるよう、強くアメリカに要求したものの、否定されてしまった。仕方なく韓国は李承晩ラインなるものを勝手に引いてしまい、それを破る日本の漁船を銃撃したり拿捕したりした。

 韓国としては日本は、敗戦国で自国は先勝国のつもりだから当然のことと思って実行したことであろう。戦争によって勝ち取ったと言うと思ったら、そうでもなく、歴史的に韓国の領土だったと主張をしている。

 その点では北方領土の場合は異なり、戦争によって勝ち取った、とロシアは主張している。終戦直前の194589日、当時のソ連は「日ソ中立条約」を一方的に破棄して、攻め込んで、占領してしまった。しかも、その日、大使館の通信線は遮断されており、全くの奇襲であったそうである。条約破棄は国際平和のためやむを得ない事情で有効だという主張を受け入れることができるだろうか。戦争とは何と非情なことか、どんな国際条約も、勝ってしまえば破ってもかまわないのか。日本のことわざにも「勝てば官軍」というのがある。

 それに異議を唱えるためには、それを覆すだけの軍事力がなければ、通用しないということだ。それがなくしてどんなに「不法占拠」を主張しても、「戦争で勝ち取った」と言って退けられてしまうだろう。かつてアメリカのルーズベルト大統領は、外交とは、「棍棒をを片手に、小さな声でささやきかけること」と表した。けだし名言である。それに対し、現在の日本政府は外交は何と心得ているのか聴いてみたくなる。多分、「国際法に基づき、平和的に、話し合いで、お互いの互恵関係を重視し、正々堂々と交渉してゆく」と答えることであろう。小学校の社会科の教科書にそう書くのは仕方ないかも知れないが、実際の外交もその程度であっては、今回の事態を招くこともごく必然であろう。そんなことはないと政府は否定するかも知れないが、憲法で軍事力の使用を否定し、国の情報機関(アメリカのCIA,イギリスのMI6、イスラエルのモサドなど)を有していないことから、そもそも正常な外交を行えないようになっているのであるから、政権の責任ではないかもしれない。

 それならば、憲法改正すればよいかというと、戦前の軍国主義国家に戻るのは絶対反対という声にかき消される事になる。このたびの原発事故を経験し、脱原発が国中を支配しているのとよく似ている。石原都知事はこれを「平和ボケ」とか「脱原発はセンチメント」と称している。これに対し、マスコミは右だの左だの批判で片付けてしまう。世論を無視していると説く。

 しかし、戦前軍国主義を強力に推進したのは、世論そして新聞などのマスコミであった。

「バスに乗り遅れるな」で国中が熱狂したことを忘れるわけにはいかない。朝日新聞などは、当初戦争慎重論であったのが、世論が不買運動をあおり、結局推進論調に変更して国中が戦争にのめり込んでいったことは、いかに世論マスコミが頼りないものかを示している。 

 昔と今は時代が違う。と説く訳知り顔の有識者や評論家もいる。その最たる者が鳩山元首相であろう。国際情勢に友愛の思想を主張し、東アジア共同体構想、日米同盟の見直しなど、一部の国が仲良くするのではなく、広く特に近隣の東アジアの諸国との関係を重視するとは、一見誠にご立派なご意見ではある。しかし、その結果が、現在の沖縄基地移設の問題や、尖閣、竹島、北方領土の問題を引き起こしたことは間違いない。

 尖閣には近いうち大量の中国漁船が押し寄せ、それを中国の監視船が守るという事態が起きることは、容易に想定される。

 どんなに、平和的に、話し合いで、冷静にといっても通じないことは明白である。

領土問題は最後は戦争しかない。それを回避する方法はただ一つ、軍事力を使用できるよう憲法を改正し、それを背景に、平和的に、話し合いで、冷静に、互いの互恵関係を重視し、海底資源共同開発などを、時には小さな声でささやきながら交渉することだ。

 あんな小さな島どうでも良いという意見もあるが、それだけにとどまる補償はどこにもない。最近は、沖縄は本来中国領土だという声もちらちらと出てきた。次は沖縄なのである。それに、仲井間知事の近年の言動は、反日米同盟に端を発した政府不信が感じられる。それに中国がつけ込んでくることも全くの絵空言でもない。

 竹島を国際司法裁判所に提訴するならば、尖閣諸島には領土問題は存在しないなどと逃げずに、この際、尖閣も、北方領土もまとめて国際司法裁判所に提訴したらどうだろうか。まさか、尖閣を提訴すれば負ける恐れがあるとでもいうのだろうか。それでは韓国の裁判拒否と同じではないか。台湾の馬英九総統が、このたびの竹島の国際司法裁判所に関連して、日本にブーメランのように帰ってくるはず、との談話を発表しているのは、それを暗示している。まさかである。

            以上