私とギター

 

 私とギターの出会いは昭和37年大学入学と同時に入会したギタークラブに始まる。当時あの音色に惹かれて入部したものの、ギターに触れるのは初めてであった。また、当時流行していた古賀ギターと違ってナイロン弦のギターを購入するよう指示されて、驚いたものだ。それほど無知だったのだ。まして、エレキギターが登場するのは、さらに10年以上後のことである。

 昭和37年からだから、今年で50年経過することになるが、よく飽きもせず続いたものだと思っている。途中、都内の新堀ギターに何年か在籍したり、マンドリンサークルでギターとほぼ同じ大きさのマンドセロという楽器を担当したり、いろいろあったが、現在は地元のギターサークルで合奏を楽しんでいる。

 こんなにも長い間飽きずに続けられた一番の理由は、学生時代に出会ったギターの名曲、フェルディナンド ソル作曲の「グランソロ」、「モーツァルトの魔笛による変奏曲」をいつか思い通りに弾きこなしたいとの欲求からだったような気がする。

 そして50年、今も学生時代、いやそれ以下の演奏しかできない。どんなに練習を積んでも、できることとできないことがあることがわかった。たとえば、音階を弾くスピード。人差し指と中指で交互に弾く速さは、学生時代以後ほとんど向上しなかった。ということは、永久に弾きこなせない曲があるということだ。バイオリンで言えば、チゴイネルワイゼンみたいなものかもしれない。それに気がつきこの2曲の練習をやめて20年以上になるが、以前、このホームページでも書いたことがある(平成125月、クラシックギターへの誘い)が、アントニオ古賀氏との出会いで、プロになるのでもないのに、指が動く、動かないなんて関係ない、という一言で、今は上達というよりは、ギター演奏そのものを楽しめるようになった。

 しかし、寄る年波とともに、右手指の使いすぎかどうかしらないが、薬指と中指が変形関節症(専門家によるとブシャー結節というらしい)で、関節の痛みとともに、制御不能に陥り、ほとんど使い物にならなくなってしまった。これではあのギターの名曲「禁じられた遊び」さえ弾けなくなってしまう。この曲は、薬指と中指と人差し指でアルペジョ風になめらかに演奏することが主体になっているのだ。中でも薬指はアポヤンドでメロディーを司り重要な指なのだ。残るは人差し指と親指だけしかない。仕方ないから、この2本指で弾くしかないということでやってみると、思ったより簡単に弾くことができた。特に人差し指でメロディーをきちんとしたアポヤンドで演奏でき、よりきれいな音が出せるような気がする。

 動かない指を訓練で動かすより、動く指をうまく活用する方が良い結果が得られることに気がついた。プロならばそんなことは言っていられないが、楽しんで弾くにはその方が上策のようだ。今では、ほとんどアルペジョを2本指で弾くが、特別な早い曲(たとえばソルのイ長調のメヌエット)を除いて、不足を感じることはない。

 ギターの楽しみは、やはりあの音色にある。弦楽器というものは、バイオリンでもあの有名なストラディバリウスがあるように、昔の銘器にはかなわない。ギターでいえば、ホセ、ラミレスだろうか。幸いバイオリンと違い20世紀の作品であり、百万円台で手に入れることができた。これで5台目である。楽器店で弾き比べてみると、どうしても差が歴然としてしまい。最高額のものに行き着いてしまうのは仕方のないことかも知れない。定年退職の記念として入手した次第である。さすがに目立った欠点はないが、低音にやや物足りなさが感じるものの、その代わり一弦の7フレット、そう、あの禁じられた遊びの最初の音、は格別良い音を出してくれる。ギターではこの音が最も大切な音なので、大変満足している。楽器というものは、飽きずに続けるには銘器を持つことが必須だと言うことがよくわかる。

 それにしてもクラシックギターの愛好家は少ない。現在のサークルもわずか4名。しかも、施設慰問演奏が主体のため、古賀メロディーと懐かしの歌謡曲が主体で、今ひとつ気が乗らない。

 なんとか仲間がほしいものである。

 仕方ないから、最近は二重奏曲の一方のパートを自分で演奏して、録音しておき、それに合わせてもう一方のパートを演奏する方法で、二重奏演奏を楽しんでいる。この方法に気づいてからずっと楽しみの領域が広がった。最近は長年の夢だったあのソルの二重奏の名曲「アンクラージュマン」の演奏も楽しめるようになってきた。

 しかし、不思議なもので、自分で演奏したものを録音したはずなのに、それに合わせて演奏することは、いわゆるあうんの呼吸が利かないため、なかなかうまくゆかない。休みの長さとか、音符の長さがぴたり合わないのだ。二重奏の楽しさはやはりあうんの呼吸であろう。でも最近は暇さえあればギターを弾いている今日この頃である。

            平成24年7月  池田 孝蔵