消費税

 

 先日、民主党の両院議員総会が開かれた。そこで先に行われ参議院議員選挙結果の総括が行われ、菅直人首相の消費税をめぐる発言が、選挙大敗の原因だとして糾弾された。しかし、選挙後の世論調査では、消費税議論に賛成は70パーセントを超える支持を得ているにも関わらずにである。

 マスコミもまた、過去の選挙で消費税を掲げた政権は必ず大敗したとの解説を付加するのを忘れない。

 ただ執行部のある幹部は「小沢幹事長のままだったら30議席もとれなかった、とは言っちゃいけないな」とささやいたという。こういう本音は決して表に出ないのが現在の民主党であり、その体質が選挙に大敗した真の原因であることを、知らないのか、それとも知っていても知らないふりをするために、ひたすら消費税発言責任論を展開しているのか。

 現在、国の借金のGDPに対する比率は1.99で、経済破綻したギリシアの1.26を大幅に上回っている。そして、ほとんどの経済評論家といわれる人たちも、このままでは、経済破綻必至と、言うことは一致している。ただし、ギリシアと違うのは国の借金すなわち国債は、95パーセントとほとんどが国内の銀行や生保が保有しているということらしい。ということは、銀行利子がほとんど0に近くて、生命保険類も掛け金が極めて割高でも、国民がひたすらそれに耐えているということだろう。

 そういえば、銀行預金利子がほとんど0にもかかわらず、サラリーマンが退職金を銀行にそのまま貯金している人が多いらしいし、生命保険や医療保険もテレビで宣伝しているのは、ほとんどが外資の保険ばかりである。

 言ってみれば、金持ちケンカせずで、たとえ割の良い運用先があろうとも、銀行預金にしたり、割の良い保険があろうとも、義理やつきあいを優先して保険を選択しているということであろう。対日強行要求を突きつけ、やっと日本に参入した外資の保険会社はさぞや驚いていることだろう。

 ちなみに私自身の退職金は当面万一に備えて必要程度のものを除いて、老後に備えるなど不急のものは、すべて海外のファンドに投資している。おかげで大損してしまった。今から考えると、0金利でもいいから、銀行預金にしておけばよかったと反省している。

 証券会社の営業マンに勧められるままに、6〜10パーセントの利回りにつられて購入すると、ファンドの価格が下がり、少々の利息では追いつかない損が生じるのである。中には、2年で半額以下になってしまったものまである。

 素人が自己責任で投資するといっても、情報は証券会社の営業マンの勧めを信じるしかないが、証券会社はファンドの額面の3パーセントの手数料を取るのが商売であるから、売りつけさえすれば良いのだ・

 やはり素人は、0金利でも銀行預金にしておくのが、我が日本国においては正解なのだろうか。この状態を、外国の金融関係の人は「日本は社会主義の国なのか」と疑問を投げかけるという。当面必要なお金を除き、少しでも運用利回りが得られるところを探して投資することは、そのカネが市場で取引されてそれが経済発展に寄与するというのが資本主義社会の基本だからである。0金利でも良いということは、たんす預金となんら変わらない。いわば死に金なのだ。いやたんす預金よりたちが悪いのは、銀行がその管理コストがかかっているということだ。銀行とすれば、その管理費用をマイナス金利として欲しいところであろう。それを徴収せずに会社が存続できているということは、現在ギリギリの状態にあるということであろう。それをかろうじて支えているのは、サラ金ではないだろうか。サラ金の金利は数十パーセントにも関わらず、利用する人がいるということは、それだけ困っている人が多いということだ。言ってみれば貧困ビジネスとなんら変わらない。

 きわめてうがった見方をすれば、日本が経済破綻せずになんとか持ちこたえているのは、貧困ビジネスだといえないこともない。

 ではなぜ、日本だけがそうなってしまったのかであるが、まず上げられるのは、日本の金持ちの態度である。金持ちけんかせずは、自分が欲する額をはるかに超えた金を手にすると、それをより増やそうという意欲がわかないのではないだろうか。いや増やそうとして証券会社の営業マンに勧められるまま投資すると、私のように大損することを知っているからだろうか。すなわち確実に儲けることができる運用ができるところが日本にないからだろう。それができるのは、リーマンブラザーズのような投資銀行あるいはヘッジファンドに投資している投資家しかないだろう。しかも最近はヨーロッパの一流銀行までがヘッジファンドに投資しているというから、それにあまり積極的でない日本は社会主義といわれてしまうのかもしれない。

 預金された金が死に金となり、わずかに活用されているのが、サラ金しかないとすれば、今後増え続ける福祉に対する財源は、借金によってまかなうわけにはいかないとするなら増税しかない。しかも増税は経済の足を引っ張るから、経済発展による税収の自然増に頼るか、消費税の増税しか方法はない。その前に徹底した経費削減があるだろうといわれるかもしれない。しかし、事業仕分けの状況を見てもわかるとおり、やることは結構なことで、国民に訴える力は大きいが、その成果は微々たるもので、とても国の財政を立て直すほど期待できる物ではない。みんなの党、消費税を論議する前に、国会議員の削減とか公務員改革などやることがあるだろうと主張するが、たかが、ものの順序の話でしかない。

 経済発展による税収自然増にしても、国民新党の亀井静香がしきりに主張するとおり、国の積極財政で経済を刺激せよというが、このデフレの時代に投資を拡大すればするほど投資効果が小さいところへ投資することになり、デフレを加速しかねない。またダムでも造るというのだろうか。

 明治時代に鉄道をひいたり、道路を造ったりしたような投資効果の高い投資がまだあるというのだろうか。そういうものをずっと追い続けてきたのがこれまでの自民党であり、それが行き詰まった故の政権交代ではなかったのか。教育、医療、先端技術とよくいわれるが、それはたしかにそのとおりであるが、それは国民全体が取り組むべき問題ではない。国民全体の価値観は幸せな人生を送りたいとただそれ一点である。ある人は、高度な教育こそ幸せだといい、ある人は高度な医療を受けることこそ幸せだといい、ある人は特殊技術で世界のトップに立つことこそ幸せだというかもしれない。しかし、それは国民全体のなかではごく一部であり、ほとんどの国民の幸せな人生を送りたいという欲求を満たすものではない。

 戦前までは欧米列強に負けない富国強兵により、世界に進出するという絶対幸せ目標があったし、戦後は良い物をたくさん製作し輸出することで豊かになり、快適な生活を実現するという絶対幸せ目標があった。

 そして現在、幸せになりたいという目標は同じでもその中身は、各個人が自分で探さなければならない時代になった。その結果、自分の子供であっても、邪魔になれば殺してしまったり、殺さないまでも、言うことをきかないからと、虐待をくりかえしたりと、気の赴くまま生きることが幸せと勘違いして、その間違いにも気がつかない。

 人生に、大きな夢を持ってそれを追い続けることが幸せであって、それは必ずかなうと、宇宙飛行士や、一流スポーツ選手など成功した人は説くが、その陰には何万の夢破れた人がいることをいわない。その夢破れた人が破れかぶれで、誰でもいいから人を殺したかったとか、自己破壊行動に走らずにはいられない現象も生まれている。

 人間は自分で自分の幸せ目標を自分で探しなさいというのは、どだい無理なのではないだろうか。それを示してくれるのが政治の役目ではないだろうか。消費税を上げる上げないが政治の最大の論点とはなんとも残念。選挙に大敗した原因が消費税を口にしたからだと、大勢の国会議員が集まって、反省し合っているなんて、国民をバカにするのもいいかげんにしろといいたい。

 消費税を上げないというだけで政治をやっていくならば、いずれハイパーインフレで借金を帳消しにするしかない。一兆円が一億円になれば、返すのはいとも簡単だ。どこかの国がデノミをやったのとよく似ている。

 国民が夢と希望をもって人生にチャレンジしようと思うに足る日本にするにはどうしたらよいか、それを示すのが政治ではないか。富国強兵で世界に進出するという決断は当時国民に熱狂的に受け入れられたはずだし、戦後、もはや戦後ではないとして、日本株式会社と揶揄されるほど、経済発展に邁進したのも、国民に大いに受け入れられたからだ。しかし、国民の熱狂に応えるだけでは、戦前の軍国主義のように誤りも生じる。いわゆる大衆迎合政治ではない、毅然とした政治、たとえば60年安保のような政策こそ求められる。それが国会の役目であろう。それが今、消費税を口にするからやめておこうというのが最大の政治判断だとは、、、。

 もし夢と希望がもてるような政策を示してくれたならば、消費税なんて20パーセントを超えたって、国民は支持するはずだ。現にそうしている国はいくつもある。

 なんとかそういう政策を示して欲しい。それが、高速道路無料化だとか、子供手当だとかの単なるバラマキであってはならない。それではまるで、パンとサーカスで滅んだ古代ローマのようなものだ。

 現在の状況はよくゆでガエルにたとえられる。あと一年あと一年としのいでいるうちに知らないうちにゆであがってしまうカエルに例えたものだ。現状の既得権を自分の部署だけはなんとか維持したいという欲求が、毎年税収を超える赤字国債を余儀なくさせている。あの小泉首相でさえ、赤字国債発行は30兆円以下に抑えると公約に掲げたが、諸般の事情で3兆円オーバーしてしまったが、この程度はたいした公約違反ではないと、開き直ったものだった。それほど国民の既得権の欲求は強いと言うことだろう。その証拠に、この程度の公約違反はたいしたことではない。と開き直ったものだった。22年度は44兆円にもふくれあがった。ゆでガエルもいいところである。

 なぜ夢と希望が持てる政策が示せないのだろうか。それは独自の憲法を有していないからではないだろうか。大きな犠牲を払った結果の平和憲法をありがたがる一方、押しつけられたものではなく、日本の歴史と伝統を重視した独自の憲法に改正すべきだという考えも浸透してきている。夢と希望が持てる国にするにはこうしなければならない、そのためには憲法改正が必要だとはっきり示して欲しい。たのむから、消費税を言い出すと選挙に負けるなどと、くだらない議論はやめてほしい。

                              終わり