塩

「いいあんばい」と言う言葉があるが、このあんばいというのは塩梅と書く。それは昔、料理の味付けは塩と梅酢を用いたことからきているらしい。事実実、子供のころ田舎の家で自家製の梅漬けは、単に塩辛いだけではない、口の中に広がるふくいくたる風味は、料理の味をさぞ引き立てたことであろう。その味を再現しようとして、昭和47年から梅漬けに挑戦しているが、果たせないでいる。10年以上失敗を重ねた末、自分で漬けるのをあきらめ、市販の高級梅干を探してみたものの、どんな高級品でもおいしさの種類が違うのである。あの味を味わったのは、仕事で山梨県の三富村の民宿で、昭和45年に出会ったのが最後であった。昔のいいあんばいはどこへ行ってしまったのだろうか。

 現代では、料理のいいあんばいは良い塩加減とされ、料理の基本とされている。。

 この塩加減は人種、民族により少しは異なるだろうし、個人毎でも差があるだろうが、そもそも何がそれを決定しているのだろうか。それをずっとたどってみると、海に行きつくようである。海の水はなめてみるとあんなに塩辛いのに、目に入れても痛くないし、生理的食塩水は海水の塩分にほぼ等しいし、それを改良して副作用を減らすよう改良したリンゲル液は塩分ばかりではなく、カリウム、カルシウムを血液のそれらと合わせるように配合したものであるが、それは海水のそれとほとんど等しいと言う。さらに、母親の子宮の中の羊水も成分濃度が海水のそれとほぼ等しいという。これらのことは、人間は原始の時代には、海にいたことを物語ると理解できる。

 だから生体を維持するためには、体内のそれらの濃度を維持することが必要である。そのため人間は味覚がいいあんばいの料理をおいしく感じ、塩分が過剰になると、のどが渇き水分を補給して濃度を調節しているのであろう。

 ところで、アサリの砂出しに精製塩を用いると、海水と同じ濃度にしても、砂をあまり吐かないか、しまいには死んでしまうそうである。その事実からも海水は単に塩だけで成り立っているのではないことがわかる。ところが人間は料理の味付けをするときに、純粋な塩だけを用いるのは、いくら同じ味であっても重大な欠陥品であるおそれがある。ちょうどアサリの砂出しに精製塩を使うように。

 ちなみに、海水は24種類のミネラルが含まれており、その成分の一つひとつが生体維持にどんな役割を持っているかについて、ごく主要なものしかわかっていない。また、味わい分ける能力も塩分を塩辛いと感じる以外では、塩化マグネシウムを苦味として感じる以外はほとんどないに等しい。

 人間の食する料理は、すべていくらかの塩味がつけられているが、その塩味のすべてに精製塩が用いられているとすると、相当なミネラルアンバランスが生じるはずである。

 象やライオンなど主要な獣は、時々不足するミネラルを補うために、特定な場所の土を舐めに行くことは良く知られているが、そのような本能が壊れてしまった人間は、病気になるまで気がつかない。

 海水から作られる塩がこの日本から消えたのは、昭和40年代後半である。それは昭和45年に法律により、現在の塩の製造法である、イオン交換法以外の製造法が禁止されたためである。大量の塩を工業的に製造するためには、その工業を保護するため、昔ながらの非効率的な製造法を禁止する必要があったのだろう。

 そのころ、沖縄地方では昔ながらの塩製造法を守ろうとした住民と、それを取り締まろうとした官憲の間で一騒動あったそうである。それ以降は国内には海水から製造した塩は姿を消し、純度がきわめて高く他のミネラルが0の精製塩のみが流通することになった。したがって、40年代末には国内には精製塩だけしかなかったことになる。

 40年代末には花粉症やアトピーなどアレルギー疾患が急激に増加したが、海水から製造した塩がなくなった時期が一致するのは偶然の一致だろうか。花粉アレルギーは、戦後植林した杉が成木となって、花粉をつけるようになったとの説明がなされているが、 アトピーは説明できない。せいぜい、食事が欧米化して、肉や乳製品を多くとるようになったとか、経済成長で大気汚染が進んだというくらいで説得力が無い。いずれにしても40年代末から急激に増加したことの説明にはならない。

 アレルギーの問題は深刻で、子供のアレルギーには、肉、魚、牛乳、卵、ソバ、小麦、米と、それこそ何も食べられないケースもあると聞く。しかたないから、輸入したアワ、ヒエ、キビなどの雑穀やカエルの肉をたべさせているという例を平成10年にテレビで報じていた。その当時の子供の親は40年代末に生まれたとすると、28歳〜33歳であったはずだ。すなわち、生まれてから一度も海水からの潮を口にしたことの無い世代の子供のアレルギーが深刻になってきたことがわかる。これも偶然の一致だろうか。 

聞くところによると、世界でイオン交換法による工業的に製造された精製塩を食用にしているのは、日本だけだそうである。どんな後進国でも、安価な工業塩(精製塩)を食用にはしないのは、工業的に製造された精製塩は食品とは考えられないからだそうである。それに対し、先進国である日本では、法律により規制してまで、国民にそれを強制したのである。

 これがもし、花粉アレルギーやアトピーなどのアレルギーの原因になっていたとすると、その罪は先般の血液製剤によるエイズに劣らず深刻な国家的問題だ。それに気づいたせいか、その法律は平成941日をもって廃止された。

 以来、自然塩を謳った塩がたくさん流通するようになったが、いくらか割高であるため、家庭で料理に使う程度なら、経済的な負担も少ないが、味噌、醤油などの製造会社では、コスト競争が熾烈であるため、自然塩が使われることはないようだ。

 しかし、自然塩といっても昔ながらの方法で海水から製塩しているものは、テレビで紹介されるほどまれである。

 その多くの自然塩の中で、私が注目したのは、「海の精」と「藻塩」である。

 「海の精」は伊豆大島で昔ながらの方法で製塩している様子をテレビで放映していたものを確認したのでまちがいないし、「藻塩」は「万葉集」にも出てくる、海草のホンダワラに海水をかけて、それを濃縮して煮詰めて作る方法に限定されているので、海水から作られていることはまちがいない。その他はほとんど輸入した塩を溶かして精製する方法だから、海水から製造したものとは成分が異なる。なぜならば、輸入した塩は自然塩ではあるが、岩塩が原料だから、古代においては海水だったかもしれないが、岩塩に結晶する過程で、きわめて高い純度になってしまうからである。

 我が家では、「海の精」と「藻塩」を食べ比べてみたところ、格段に「藻塩」の方が勝っていた。おにぎり、ヤサイイタメ、ヤアキトリなどに「藻塩」を用いると、ほんとうにおいしく昔、子供の頃食べた味が再現できる。漬物にも使用すれば良いのだが、100g当たり300円〜400円するので、タクワンや野沢菜漬けのように樽で大量に漬けるときは、自然塩に近い味がする「伯方の塩」を用いている。「伯方の塩」でアサリの砂だしをしたことがあるが、元気に砂だしができたので、比較的自然塩に近いようである。

 「藻塩」を用いると、塩味が濃すぎてもおいしく食べられるため、つい摂取量が多くなってしまうきらいがある。しかし、精製塩で味付けされた料理は、他人がちょうど良い加減というものであっても、私には塩辛すぎると感じることがしばしばある。それは、塩分自体はわずかであっても、純粋な塩化ナトリウムだけでは、ミネラルバランスのとれた「藻塩」に慣れた舌には、塩分がきつく感じるせいだと思っている。

 それにしても、塩分の摂りすぎは体に良くないと注意されることが多いが、先日のNHKテレビの「ためしてガッテン」という番組で、カリウムが十分摂取されておれば、余分な塩分は排出されるということであったので安心した。

 我が家では「藻塩」を使い始めて4年ほどになるが、その効果かどうかはわからないが、30年余り苦しめられた私の花粉アレルギーは昨年そして今年とほとんど発症しなくなっている。昨年は花粉の飛散量がすくなかったので、発症しなかった人も多かったようだが、今年は例年よりはるかに飛散量が多いとのことであるから、今年発症しなかったということは、花粉アレルギーを克服できたものと喜んでいる。

                         以上