同時多発テロに思う

 アメリカ貿易センタービルにハイジャックされた航空機が突っ込み,史上最大の被害がでたテロに対し,断固制裁すべきだという意見と,報復はまた報復を生むだけであり,何の解決にもならないという意見が対立している。

 この問題に対しどうすべきであるというのは,単に個人的意見にしか過ぎず,どんなに議論あるいは研究しても答えの見つかる問題でないのが,何とももどかしい。

 法的には逮捕して裁判にかけてしかるべき罰を科すというのが筋であろうが,国家レベル(タリバン)で犯罪者を匿っている以上は,国家レベルの対応(軍事行動)を行使せざるを得ないということであろう。

 しかし,ここで注意が必要なのは,テロの首謀者といわれているビンラディン氏が実行したという証拠が状況証拠でしかないことである。日本のサスペンスドラマでも終盤につかまった犯人が,「証拠があるのか」と開き直るシーンがある。そこで,主人公がるる説明するとがっくりと観念して捕まる。この様に犯人が単独犯行の場合は簡単であるが,組織犯罪の場合には,暴力団の抗争,オウム事件のような場合でさえ,捕まるのは末端の実行犯でしかない。オウム裁判ではあれほど犯罪内容が明確であるにも関わらず,裁判は遅々として進まない。

 裁判がスムーズに進む組織犯罪裁判の実例としては,ニュルンベルグ裁判と東京裁判がある。大勢の死刑が出た裁判をわずかの期間に終えている。それは勝者が敗者を裁くという図式の裁判であり,国際法に照らして事実を争ったものではないからである。

 今回ももし,ビンラディンが捕まったとしたら,東京裁判と同じことになるだろう。

 東京裁判では日本人は戦争に負けたのだから仕方ないと,原爆でさえ「あやまちは二度と繰り返しません」とあたかも日本人の責任のように,記念碑に刻んでいる。

 しかし,イスラム教徒はそうはいかない。前国王ザヒル・シャー氏が指摘するように,犯罪者はイスラムの掟によって自ら裁く。それが,異教徒であるキリスト教のアメリカに捕まり裁かれたとなると,ビンラディンは殉教者となり,結局イスラム社会全体を敵に回すことになるという。

 アフガニスタンでは現在でも連日のように,公園や競技場で公開処刑が行われているという。そんな野蛮な国だからこそ滅ぼさなければいけないという正義感が果たして通用するであろうか。幸いイスラム各国がテロ許すまじ,という点では同調を得ているものの,ビンラディンの犯行を証明できるだろうか。どんなに裁判で証拠をつきつけても,「はい,わたしがやりました。悪うございました」というだろうか。それが証明できない以上事態は何の解決にもならない。

 10月8日,アメリカが軍事行動を開始した直後,ビンラディン氏のテレビメッセージが報じられた。アメリカに永遠に平和と安全は訪れない,とは脅しであろうが,パレスチナの建国と平和を求めていることは,この問題が永遠に解決しないことを予想させる。

 パレスチナの平和とはイスラエルの否定につながるからである。

 紀元前,世界にチリヂリになったユダヤ国家がアメリカ,イギリスのごり押しでイスラエルを創ってしまい,そこ生活していたパレスチナ人を追い出してしまった。この恨みは時代が経過しても衰えるどころかますます燃え盛るばかりである。ユダヤ人も最近旧ソ連のユダヤ人イスラエルへの移住を呼びかけており,最近は年間100万人規模の移住が行われているという。ますます,和平は難しくなってきている。

 それゆえか,先日のNHKの放送で,イスラエルとパレスチナ双方の識者のインタビューが報じられていたが,双方とも,相手の暴力にはもう我慢の限界を超えたと言っていた。識者にしてこの調子であるから,一般庶民は推して知るべしである。永久に解決はないだろう。このように悲惨な決定をしたのは確かにアメリカとイギリスを中心とした大国であったことは間違いない。

 チェチェンとロシアの関係も170年ほど前に,チェチェン民族が不毛の地に集団移住させられた恨みだという。これも永遠に解決はないだろう。しかし,イスラエルと異なり独立という手が残されているのでまだ救いがある。(ロシアはなぜそんなチェチェンを手放そうとしないのか不思議でならない。石油パイプラインの経過地というが,ならなおさら良好な関係が求められるはずなのに)

 恨みをテロによって晴らすというのは確かに許されないことであるが,それ以外に手段がないこともまた事実である。超大国ならば,軍事力を背景に脅しをかけて交渉のテーブルにつかせることができるが,弱小国はそれができない。できなければ,おとなしくしていろというのが,アメリカのいう正義なのであろう。

 かといって,イスラエルを解体してパレスチナに返還することなどできるはずもないことは想像に難くない。イスラエルを追い出したら,もっと深刻な事態が生まれることだろう。何しろ世界の資金を動かしているのはユダヤ資本だからである。

 人類はユダヤの問題を解決しない限りは世界最終戦争(ハルマゲドン)を回避できないのではなかろうか。

 それではユダヤ問題に解決の道はあるのだろうか。

 少々古いが,「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著)という名著があった。その中で,ユダヤ人の合理的な思考が日本人の馴れ合いの思考と比較され,あまりの違いに驚かされたものであった。今から考えるとグローバリズム文化のはしりだったのであろう。

 資本と合理性の文化は瞬く間に世界に広まり,それはやがて正義という衣をまとい始めた。一例を挙げると,金利を禁止するイスラム教と資本主義は合い入れない。現代の文明発展は資本主義が生んだといっても過言ではない。ところが,彼らにしてみれば,オスマントルコやビザンチン帝国の時代に,世界最強の国だったはずなのに,なぜ現代に至って,こんなに虐げられているのかと,イスラム社会の大学では先生も生徒も一様にぐちるそうである。それは資本主義かイスラム教かによって格差が生じたといえると思う。

 共産主義も一時期資本主義と張り合う時代があったが,単に全体主義を生んだだけであった。金利というものが,いかに人間にとって未来を切り開く力になるかが証明された。

どんな社会制度もこれにかなうものはない。全能なるアラーの神も人間を幸せにはしてくれても豊かにはしてくれないということがわかった。

 幸せを求めたイスラム教徒が豊かさを求めたら,国産の原油を高く売りつけるしかないが,その原油とて買ってもらわないとどうしようもない。すなわち買い手市場になり,買い叩かれてしまう。かれらにしてみれば,陰謀と映るのもむりはない。

 その結果,富が集中するところには,人間が一生ではとても使い切れないほど集中してしまうという矛盾が生じる。イスラムの教えでは持てる者は持たざる者に施し,持たざるものは持てる者から応分のものをもらって当然という考え方があるが,これは市場経済には受け入れられない。それを強行すると,正義の名の元に犯罪になってしまう。

 資本主義はそれだけでは飽き足らずに,デリバティブなるものを考案し,さらに富の集中化が進展した。ときには,国が経済破綻を引き起こすほどの破壊力を持っている。

 しかし,何人も参加できるのであるから,悔しかったら,参加して儲けたらいいではないかと諭されてしまう。しかし参加するともっとひどい目に合うのがわかっているので手が出せない。そして富はさらにアメリカへ吸い上げられて行く。

 どうしようもないといえば,どうしようもない話である。このやるせない気持ちを訴えるのにテロという手段しかなかったのだろう。

 テロはテロでまた絶対に許されないものであることはいうまでもない。

 テロを論じるときに,実行犯に対してそのような過激な手段に訴えずに冷静に話し合おうと言っても,そうですかそれではと言って出てくるような相手ではないといわれている。

 ちょうどオウムの麻原みたいに,みだりにポアするのではなく,真剣に話し合おうという論理が通用しないのと同じだという。

 だけどほんとうに同じだろうか。麻原と同じだという考え方に対してテロしか手段はないと,かれらは言うのではなかろうか。

 今回のテロでいち早くブッシュ大統領支持を表明したプーチン大統領は,頭の隅にチェチェンのことがよぎったはずである。そのチェチェンが麻原のオウムと同じ扱いとするのは,テロという言葉だけが一人歩きするからではないだろうか。

 文明人だったら,単に「断固テロと闘う」だけではなく,テロが必要でなくなる方策の議論も必要だと思うがいかがであろう。その点,昔だったら,戦争しかなかったからすっきりしていた。その同じ手法をテロに対して行って効果があるのだろうか。

 ますます泥沼化するような気がする。通常の戦争に近かったベトナム戦争でさえ,軍事力ではどうしようもなかった教訓を忘れたのだろうか。

 しかし,このような発言をすると,自分だけ安全圏にいてもっと話し合えなどと無責任極まりないとしかられてしまう。たしかに許せないけれど,エスカレートして泥沼化するよりはよいと思うのだが。それにしてもパレスチナ問題はどうしようもない。