サンカ

 これまで生きてきたうちで,最もうれしかったことは何か,と問われたら,わたしだったら,子供の頃山でワラビがたくさん採れたことだ,と答えるだろうし,食べ物で一番好きなものは,と問われたら,やはりワラビと答えると思う。この話を酒のみ話でしたところ,何故ワラビがそんなに好きなのか理解にできないといわれてしまった。いわれてみるとそのとおりで,自分でもなぜこんなに心がひかれるのか,かねがね疑問に思っていたことである。

 最近になってその理由が少しわかったような気がしてきた。というのは,先日,テレビで最近サンカについて,世間の関心を集めているという紹介があったからである。

 サンカというのは,既存社会にとけこむことなく,山を転々と移動しながら生活する人々で,近年はほとんどいなくなったものの,戦前までは結構多かったらしい。なぜ戦前までかというと,戸籍を持たなかったにもかかわらず,日本人であるかぎりは戦争にということで強引に徴兵されたせいらしい。

 かれらは,山の中で生きてゆくために必要なすべてを自分の手でしなくてはならなかったためか,手先が器用で細工物に長けており,それらを一般人に販売したりして必要なものを手に入れていたという。それゆえか,彼らの言葉で一般の人を「とうしろう」と呼んでいたという。「とうしろう」の語源がサンカの言葉だったとは知らなかった。彼らにしてみれば一般人は不器用な「とうしろう」に見えたことだろう。

 そんな彼らがなぜ,世間から離れて生きて行かなければならなかったかは,差別されたからではなく,自ら管理社会を嫌って自由な生き方を選択したからだったようだ。

 研究者によれば,日本古来の縄文人が,外来の弥生人に駆逐され,それの支配を甘受した人たちは同化され日本人を形成していったが,それを受け入れられなかった孤高の人たちは,管理された農耕社会からはなれ,山中に生きる便を求めたのだという。その縄文文化は原始的な未開の文化ではなく,高度な文化を持っていたことは最近の東北地方の遺跡発掘などで次第に明らかになってきた。

 日本人のDNAを調べると,日本人固有のDNA4.8%しかないという。中国人も韓国人も60%以上は固有のDNAで占められていると言うのに,日本人はあまりに少ない。完全な雑種の民族になってしまっているようである。日本人の文化を受け入れる多様性はこんなところに端を発しているのかもしれない。

 もし,サンカといわれる人のDNAを調べてみたら,固有のDNA80%を越えるということがあるかもしれないと思った。そして,ひょっとして自分がその一人ではないかと思うに至ったのだ。

 わたしは今,退職後の生活を自給自足の生活を夢見て準備中であるが,どんなに裕福であったり遣り甲斐のある仕事にありつけたとしても,自給自足の生活に勝る魅力的な生き方はないと確信している昨今である。これは結局,自分のルーツはサンカであったのではないかという確信に似た思いに到達したのだ。そう考えてみると,,自分がワラビにこんなにこだわるのもなんとなく納得できた。

 日本には至るところに落人伝説があり,山奥にしては格調高い文化が根付いていることが多く,なんとなく納得してしまうが,ほんとうは管理社会に同調できずに山中に生きる場所を求めた人たちかもしれない。マタギなどはその典型であろう。

 日本古来の民族は縄文人だったが,渡来人の弥生人に駆逐されたという見解は,近年,東大の埴谷教授によって検証された。氏は出土した頭蓋骨を詳細に測定して,それを統計的に分類したところ,縄文人と弥生人は99.9%以上の確率で民族が異なると言う。しかし,時代が下るにつれ,九州から東方に行くにつれその確率は下がってあいまいになって行くことが確認されたという。先生のその学説は,学会で大いに反対されたという。鑑真の時代にさえ,日本に渡来することは大変な困難があったのに,弥生の時代に民族の移動という大規模な渡来が可能なはずはないという理由からである。ところが,九州の古墳で壁に描かれた多数の櫂を用いた舟の絵が発見されたことから,学会で認められるようになったとのことである。

 渡来人は,九州に上陸して東方に勢力を拡大する過程で,古来の縄文人を駆逐して行った。その途中で桃太郎伝説が生まれたのだろうということだ。これから鬼退治に行くのだが,もし,味方につくならきび団子をあげましょうというあれである。これこそ,管理社会の始まりである。支配する人とされる人の始まりである。それまでは,部族社会であり,上下関係もないが,年長者や有能者は自然に皆から尊敬を集め,仲良く暮らしていた。ただし,十年一日のごとく自然の恵みを壊すことなく,その範囲で生活していたから,発展も遅く約一万年もそんな生活をしていた。稲作文化が文明の基礎というのは確かにそのとおりであるが,それ以上に,管理社会による生産性の向上が理由に挙げられよう。稲作は,自然のままでは成り立たず,開墾が必要である。それこそが開発の原始のすがたであり,それを推進するには個人の力というより管理社会が適している。家内工業より株式会社の方が生産性が高いのに似ている。

 桃太郎についていったキジ,犬,猿のように弥生人に同化して行った人も多いことだろう。ところが,一部アイヌのようにどうしても同化できなかった人たちは,どんどん北へ追いやられか,山に逃げ込むしか手がなかったことだろう。彼らはもともと自給自足だったから,生活に必要なものは何でもつくれる。そんなことから,竹細工など農具もつくり,サンカは別に箕つくりともよばれているのはその名残だろう。

 地方に残る年に一度の農具の市は,そもそもはサンカ主催であったのだろう。

 この種の人たちに対しては日本民族は必ず差別部落に貶めるのが常であるのに,サンカだけはそうでなかったことは,持ちつ持たれつの関係にあったというよりは,自分たちの先祖を見る思いがあったからではないだろうか。

 征夷大将軍というのがあったが,決して血みどろの歴史は残っていないのは,インカやアメリカインディアンと異なるところである。

 大和朝廷という近代国家が誕生してからは戦争の繰り返しだった。それまで,平和で皆仲良く暮らしていた文化は駆逐され,強いものが支配する文化が定着したのだ。それはつい最近まで続いた。文武両道といい,教養をつける一方,人殺しの技術を磨いてきたのだ。

 縄文人にはその文化が受け入れられなかったため山に逃げ込んだのだろう。

 そしていま,日本の分かち合う文化はグローバリズムの弱肉強食の,いいかえれば,能力主義,業績主義,市場主義の文化にに駆逐されようとしている。

 こんな時代だからこそ,今,サンカの生き方が共感を呼んでいるのかもしれない。