「経済戦略会議報告」に対する感想文

 

 

 日本経済を疲弊させている要因を、規制緩和、構造改革により、国際競争力のある産業を育成し,持続可能な(サステイナブル)経済成長を確保する。そのためには、個人の能力を生かす公正な能力主義を定着させ,労働市場の流動化をはかり、雇用の確保をはかる。そして、経営はデスクロージャーをすすめ、説明責任をはたすとともに、会計規則などグローバリズムを取り入れる.これらによる、高齢者など弱者にはセーフティネットを確保し、将来に不安のない社会システム(年金など)を実現する。

 だいたいこんな内容だったと思う。

 この報告は結局グローバリズム、市場原理主義を協力に推進することしか提言していない.これを真に受けて改革を断行したら、恐らく日本はパニックに陥るだろう.

 なぜならば、市場原理で生き残りが達成できた少数の勝ち組はよいが,その他の多くの負け組はセーフネットで保護されるだけになるからだ。これでは経済は回転しない.

 これまで日本経済を引張ってきたのは、一億総中流といわれる人たちだった.かれらが、隣でテレビを買った、車を買ったといっては、自分も月賦でムリして購入してきた消費行動が日本経済をリードしてきたのだ。

 いま、この構造が行き詰まって、供給力が需要を30%も上回っているというのに、改革を断行したら,企業は収益を取り戻すだろうが,リストラなどにより多くの雇用が失われる.すなわち、国民の購買力が減退する。消費が減少するということはデフレスパイラルを加速する以外なにものでもない。

 完全オートメーションの無人工場で、大量生産を実施する企業ばかりになったことを推測してみればわかるように、人件費は節減できて製造コストは下がり、競争力はつくだろうが,その製品を購入できるのは、その工場の経営者だけ、すなわちごく小人数しか存在しない.いってみれば、未開発国で国民所得が1000ドルにも達しない国で高級外車をどんなに売りこんでも売れないのと同じである.

 一方、個人金融資産が1380兆円といわれる日本では、富の偏在化がすでに進展しており、それを保有している人は50〜100万人だといわれている。(評論家 江藤 淳)  すると、一人平均十数兆円にものぼる。これでは、個人ではとても使い切れるものではない。日本のデフレはこれが原因していることはほぼ間違いがないにもかかわらず、さらに、競争原理により、この勝ち組、負け組の傾向を強めようとしている.資本主義経済というものは、基本的に競争原理により一部の勝ち組をつくるシステムなのだが、規制緩和と構造改革でさらにそれに拍車をかけようとしている.しかし、これでは経済は立ち行かない.なぜならば、消費者不在、いいかえれば、内需が冷え込むからである。

 経済と言うものは,いつの時代も需要とこれを支える購買力にかかっていると言っても過言ではない.にもかかわらず、戦略会議では需要ではなく、もっぱら供給力の強化に視点を置いているのは,企業人が自分の企業の発展方策を検討しているからなのだろう。

 日産の改革にカルロス・ゴーンさんがやったことと同じ手法である.

 それぞれの企業が生き残りをかけてリストラを断行すると,早いはなしが、30%の企業が倒産するということを意味している.リストラされた人々には各種通信教育などにより能力開発を行い他分野にも就職できるよう、国の助成措置を提言しているが,どの分野も人余りなのに資格を取ったくらいではプロとして生き残りは難しい.気休め程度にしかならないはずだ.日本はいつの時代に資格だけに頼るようになったしまったのだろう.

 評論家、猪瀬直樹氏は各種講習会や資格制度は天下り組の既得権益機関に成り下がっていると指摘している。日本のたたき上げによる神懸り的な高度技術者が、日本の企業の競争力を支えてきたのではなかったのか。

 以上のように、経済をリードするのは需要とこれをささえる購買力を如何に確保するかにかかっている。それは、決して企業の生き残りばかりではないはずである。不労所得結構,無能者でもそこそこの給料をもらえる、終身雇用確保とどれをとってもこれまでの日本の悪習慣といわれてきたものばかりが、内需の担い手ではないだろうか。

 そんなことが通用しないから問題だという指摘もあるが、ロシアやアルゼンチンのように単に紙幣を印刷するだけの経済ならともかく、世界の貯蓄の1/2〜1/3ともいわれている日本の個人金融資産と1ドルが80円までの円高でも貿易黒字になる競争力があるならば、無能者にそこそこの給料を払ったり、終身雇用を保証したりするのはたやすいことだ。しかも、それが日本経済のけん引役になるというならなおさらであある。

 国が豊かであると言うことは,一握りの人間がほとんどの資産を保有するのではなく,ほとんどの人間が、少々生産能力に欠点があっても、そこそこの収入があり、それなりに文化生活を営めることにあるのではないだろうか。これだけのお金があるならば、そんなにキュウキュウと生産活動にいそしむ必要があるだろうか。

 現在の1380兆円はほとんどが郵便貯金や国債などで、国へ投資されてしまい、それがキャッシュフローを生むようなところに投資されていないことこそが問題である.

 経済波及効果が減少した公共事業ばかりに投資するのではなく,自分たちの豊かな文化生活のために投資されることこそが,経済回復への戦略と考える.