エコエティカ

「エコエティカ」という聴きなれない題名の本を読んだ。著者は哲学美学比較研究国際センター所長の今道友信氏である。

 目覚しい科学技術の発展で、人間を取り巻く環境は、原始的な自然と人間、人間と人間の関係も大きく変化してきており、単に環境をどうすべきかという「環境倫理学」ではなく、環境の変化に対して、人間は自己の行為をどう決定付けなければいけないかを、学問的に追求すべきだというようなことのようである。

 アリストテレス以来、行為は三段論法で考えられている。すなわち、有る願望があったとしたとき、それを可能にする手段がいくつかあって、その内の一つがもっとも容易に、もっとも美しく実現されるならば、その手段を選択するということである。

 ところが、今日では全く別の論理構造がでてきている。たとえば、お金がある。そのお金を何に使うかというときには、手段が先にあって、目的を後で選択するという場合である。科学技術や社会構造が発展すればするほど、膨大な手段がすでに存在し、それを何の目的に使うかは、二次的な問題になってきている。

 どんな職業に就きたいから、、こういう大学に入ろうとするのでなく、とにかく偏差値の高い大学をでておけば、どんな目的にもかなえられるというのにも似ているし、とにかくお金をたくさん稼いでおこうというのにも似ている。本来手段で有ったはずの選択が、目標に取って代わってしまうわけである。

 アリストテレス以来の行動原理が機能しないということは、これまでの、人類が築いてきた倫理、道徳は何の役にも立たないということにも、つながりかねない。

 それでなくても、現在の教育で倫理学を本気で教えている学校はないし、たとえあったとしても、倫理学の歴史を説明するにとどまっている。また、道徳教育の必要性を文部省は主張しているが、しつけと混同している要素が強い。現代の子供の精神の荒廃は、生きるという目標のために、必死にその手段を追い求めた時代から、生きているのは前提になりさがり、親のあまやかしと何でも可能なお金に不自由なく、その上に、自由だ、個性尊重だのとなると、まだ自己確立していない少年時代においては、目的を見出すことが困難になってくる。その結果、人を殺す経験がしてみたかった、だの、世間をあっといわせるような大きなことをしてみたかったとかいって、簡単に殺人に走るというようなことが起きている。

 臓器移植にしても、病を治したいという目的は当然であるが、治す目的で他人の臓器を期待するというのは、いかがなものであろうか、移植技術が存在すれば、必ずや、他人の死を期待するか、あるいは、強奪する輩も出てこないとも限らない。

 ミサイルを持てば使ってみたくなるまででなくても、それをネタに脅しをかけてみたくなるのはむしろ当然であろう。

 人類の科学技術の進歩の第一歩は火の使用だろう。ギリシャ神話によると、火をつかさどるゼウスの元から火を盗み人間に与えたプロメテウスは、その罰として生きたまま肝臓を鳥に食わせられたというし、わが日本の「古事記」によると、火の神を産んだイザナミノミコトはその火の熱で「ホト」をやけどしたという。科学技術を手に入れるということはそのくらい大きな代償を払わなければいけないということであろう。

 しかるに、現代社会をみるに、原子力からパソコン、インターネットの科学技術から経済という軍事力より強大な威力を持つものまでが、自由主義の掛け声のもと、野放しになっている。もちろんそれなりの法律なり国際的な取り決めは存在するが、はたして、その根底となるべき倫理学はどうなっているだろうか。少なくとも、倫理学の歴史を学んだ程度では、十分な反映はできるはずがない。

 科学技術は自己増殖的に発展して行くし、その技術は複雑に絡み合い、人間にとって想像さえできなかったことも可能になってきている。それを一々法律で規制できるだろうか。 自由主義市場経済原理主義は現代のグローバルな価値観ということになっているが、一国の経済を破綻させるほどの力を持ってしまっている。

 かのジョージ・ソロスはいみじくも言った。「市場に道徳を求めることはできない」と。 しかし、そのような威力を持つマネーに対して、人間としてどう対峙すべきかはそれこそ倫理の問題であろう。ただし、従来の倫理ではない。なぜならば、従来の倫理は個人の有りようないしは、相手に対する思いやりをベースにしており、パソコン画面で商取引を世界規模でしかも瞬時に行うことはもとより対象外だからである。

 このように、例をあげればきりがないが、複雑な技術連関社会では、法律では規制しきれない問題について、どう考えるべきかという倫理学こそ求められている。それは、価値観といった浅薄なものではなく、学問として修得すべき問題ではなかろうか。

 いまこそ、「エコエティカ」が求められていることを痛感させられた。