戦争反対

今、世界ではウクライナとロシアの戦争が続いている。旧ソ連の同胞であったウクライナが、EUさらにはNATOへの加盟を目指していることが、ロシアとしては、どうしても許すことができないとして、中立と非軍事化を要求して軍事侵攻したのであった。しかし、ウクライナとしては、国家の選択を外国の要求に従う訳にも行かず、ましてや、自衛権の放棄にもつながる非軍事化など受け入れられるはずがない。そんなことはわかりきっているはずのプーチン大統領は、なぜ軍事侵攻に踏み切ったのだろうか。

おそらく軍事侵攻は最後の手段だったのだろう。隣の国にどうあってほしいかは、公式、非公式を問わず様々な外交、工作活動により、その国自身がその方向に向いてくれるよう仕掛けるのが世界の常識であろう。

ウクライナにおいても、2004年のオレンジ革命では、親露派のヤヌコビッチ大統領の選挙不正を追及し、親欧米派の大統領が誕生した。それはクーデターと言っても良いほどの暴動を伴ったものだった。しかし、その後の内部対立と腐敗によって再びヤヌコビッチ大統領が復活してしまった。すると今度は、2014年にユーロ.マイダン革命を起こし、ヤヌコビッチ大統領を失脚させたばかりか、国外追放してしまった。それは、ウクライナ東南部地域のルガンスク、ドネツク両州の親露反政府勢力との内戦でもあった。

多くの死者を生んだ内戦収拾のため、ミンスク合意が結ばれ、両州の自治権を拡大することを条件に停戦が実現するはずであった。

それから今回の戦争まで、停戦どころか悲惨な内戦が続き13000人以上ともいわれる死者を生んでいたのが実情である。

ミンスク合意がありながら、なぜ、停戦できなかったのか、もちろん双方とも相手の非を主張しているが、あのオレンジ革命に資金面で援助していたといわれる、あのジョージ.ソロス氏は、ミンスク合意なんてとんでもない、これまでの援助が水の泡になると言って激怒したそうである。要するに紛争が続くことこそが彼の目的であり、アメリカの戦略ということになる。

プーチン大統領にしても、クリミア半島のロシア編入したときの成功体験が忘れられず、次回の大統領選まえに、北京オリンピック終わるのを待って軍事侵攻を果たしたということであろう(クリミア半島編入もソチ五輪直後であった)。それにしても、独立国家承認した2州のロシア人の保護を目的なら、理解できないこともないが、なぜ全面戦争に打って出たか理解に苦しむ。

ロシア人保護が目的ではなく、ウクライナの中立、非軍事化に変わってしまったのは、宣戦布告の理由としては、薄弱と捉えたためであろう。

軍事侵攻して、相手国が無条件降伏すれば、傀儡政権を樹立して、如何様にも目的を達することは可能であろうが、かつてのアフガニスタンでの失敗を思い出さないだろうか。

現代において無条件降伏というものが、あり得るだろうか。おそらく日本の太平洋戦争の敗北が最後ではなかろうか。あれは、広島、長崎への原子爆弾投下という事態に耐えきれずに決断したのであり、東京大空襲とか、沖縄戦など、非戦闘員の無差別殺戮にさえ耐えた日本人の最後の決断であった。本来、戦争とは外交手段の一つで、国際法でも認められていたものであるが、そのかわり、一般民衆の殺害は国際法で禁じられていたのである。にもかかわらず、戦後の東京裁判では、戦争を起こしたとして日本の政治家が、有罪死刑判決を受けたのに、無差別爆撃で殺戮の限りを尽くしたアメリカは戦争犯罪に問われなかった。こんな戦争は絶対許してはならない。日本人の多くが戦争反対を唱えるのはこういう戦争なのだ。

いまウクライナで起きている戦争は、一般民衆の殺戮までは行っていないが、もちろん悲惨であることにはかわりはない。

もし他国からどうしても受け入れられないような要求を突きつけられた場合に、戦争反対だからといって、全面降伏して受け入れるべきであろうか。

今回のウクライナとロシアの戦争はそのことを考える良い事例でもある。ウクライナはいまのところ、圧倒的な軍事力の差があるにもかかわらず、徹底抗戦を続けている。

果たして日本だったらどうすべきだろうか。

立憲民主党や日本共産党は、戦争が起きないようによく話し合うことこそ重要と、説くだろうが、はなしで片がつかない場合が戦争であることを、また、現代でもそういうことが起きうることを認識すべきである。