政治的発言はどこで

 

新型コロナウイルスの感染拡大で、世の中はますます不用不急の外出自粛が求められる状況にある。

毎日、家に閉じこもり、新聞7は隅々まで、テレビはほとんどつけっぱなし、それに飽きたら、ネットで様々な意見を知ることになる。

それで、最近気づいたことがある。それは、世の中のマスコミに流される情報は少々の違いはあるがほとんど似通っているが、ネットでは、それこそ、常識からきわめてかけ離れた偏った意見まで、実に多種多様だということだ。それはそうであろう、マスコミは、公平公正や、差別表現を避けたり、とりわけ最近は、いわゆるPC(政治的正義)を考慮しての自粛、まして、世論の反発を受けての廃刊の恐れがあるなどの制約があるからだ。

それに比べて、ネットでは、一切の制約がないから、どうしてもその内容は過激にならざるを得ない。最近それも、ネットでの中傷を気にして自殺したり、人種差別表現が問題になったりで、ネット事業者が、問題がある内容を削除するなどが、現実となりつつある。ネットといえども、全くの自由発言は許されない時代になってきた。

それでは、自分のどうしても世の中に向かって発言したいことは、どこで発表したらよいだろうか。

「大変だ、戦争の話だ 夜が明ける」とか、「床屋談義」とか、「楽しく酒を飲むためには、宗教と政治の話は避ける」とかいろいろ言われているが、ごく親しい仲、たとえば家族だったりすれば、何の自粛も必要ないだろうが、そうではなく特定の相手に発言する場合は、それなりの配慮が必要であろうと思う。

たとえばこのたびの新型コロナウイルス対策にしても、感染拡大防止か経済活動優先かの問題にしても、両極端な意見があるし、原発推進か自然エネルギー優先かにしても両極端な意見がある。絶対異論はないはずと野党が追求するモリカケ問題、桜を見る会にしても、そんな些事は週刊誌に任せておけ、収賄は国を滅ぼすことはないが、正義は時に国を滅ぼす、国会ではもっと重要な問題を議論せよとか、沖縄の自然を守れ、辺野古海埋め立て絶対許すなというのも、それでは、普天間基地の危険はそのまま残すのかとか、政治の問題は一筋縄では行かない。

だからといって、放っておいてよいという問題ではない。大いに考え、議論すべき問題ではある。

そのためにあるのが「ブログ」ではなかろうか。ユウチューブも有力な手段である。それに関心がある人だけに、伝えられれば十分である。わたしはその目的のためにブログの「自給自足農園ゆめぞのから」で発信を続けているが、訪問者は、私自身が、ブログ更新のために開封する数より少ない、月に数人程度である。私としては、大げさでなく、日本中さらには世界中の人に読んでもらいたいとは思っているのだが、実態はそんなものだ。だからといって、やめてしまおうと思ったことはない。今後も続けるつもりだ。

それを、ブログではなく、メールで知人に送付すれば、メールの送付先の数だけ間違いなく読んでもらえる。しかし、メール当ての先の人に対して、自分の主張を押しつけることにならないだろうか。意見を問われての回答としての政治的主張ならともかく、一方的に、主張をメールで送付することは、同調者であった場合はよいが、逆の場合もあるはずで、その場合は礼を失するかもしれない。