花粉症完全克服

 

私の花粉症は昭和49年31歳の時、突然発症し、現在75歳だから、40年以上のつきあいである。発症当時は、花粉症という言葉は存在していなかったため、病院に行くと、風邪薬を処方され、症状の様子から風邪ではないと、どんなに説明しても取り合ってもらえず、耳鼻科に回されて、鼻が少し曲がっているとの診断で、治療として鼻腔洗浄を受けるにとどまった。その後、数年経過して、花粉アレルギーが世に知られるようになり、原因として、戦後植えられた杉が成木になり、花粉をまき散らすようになったこと、食事が欧米化したとか、文明の発展で排気ガスが増えたことなどが上げられていた。以降対称療法として、ステロイドを利用してきたが、医師によっては、なかなか処方してもらえず苦労したものだ。要求すると、「命を縮めても知らないからね」などと怒鳴られもした。期間限定で、わずかの使用量でもであっても、医師としては、副作用などの面倒は避けたいということであろう。

しかし、杉の木など、日本に良く似たニュージーランドでは花粉症はほとんど問題にもなっていない。

しかも、昭和40年代末期から突然問題になるほど増加したことは、単に戦後植えた杉の成木化だけでは説明できない。花粉症ばかりか、アトピー性皮膚炎も急増していることは、花粉というよりは、アレルギーに対する免疫力の低下と考えた方が妥当であろう。

昭和40年代半ば頃、世界に類を見ない食の変化はなかったのかを、当たってみると、塩の専売を敷いている日本は、海水から製塩することを昭和45年に法律で禁止したことがわかった。それは、ソーダ工業を保護する目的であった。その後、平成9年4月1日にその法律は廃止されたため、現在では、スーパーで、いろんな塩が販売されるようになった。

食用としてこだわりの塩は、当然ながら価格も高い。そのため、家庭ではそんなこだわりの塩を用いても、味噌、醤油、その他、工場で大量に使用する塩は相変わらず、ソーダ工業で生産された塩であり、不純物を含まない極めて純度の高い、薬品としての塩である。

ちなみに、こんな工業塩を食用にしているのは、日本だけだそうである。他の国は、どんなに貧しくても、そのような塩は薬品であり、食品としては認めないとい考え方のようである。

花粉アレルギーをこの塩が原因と考えると、昭和40年代末には、世の中から海水から製塩された塩はなくなっていたことだろうから、私の花粉症発生も、納得が行く。

こんなことが分かったことから、私は、ひたすら自然塩を求めてきた。

昭和60年頃には、「海の精」という伊豆大島で、海水から生産された塩が、スーパーで売られるようになったが、100g480円で、しかも、住所、氏名を記載しなければ、入手できなかった。それは、専売法に触れるため、会員のみに、分けているという言い訳が必要であったためであろう。

その後、「藻塩」という、万葉集にも出てくる、日本古来の製塩法による塩を、ネットで見つけ、現在まで使用を続けている。100g300円であるが、使う量から考えると、それほど高価ではない。

味噌も手作りであるから、すべてとは言えないが、かなり自然塩の使用率は高くなってはいる。

それ故かどうかは分からないが、今年は花粉飛散が非常に多いにもかかわらず、花粉症を発症していない。年々症状が緩和されてきているという実感はあったものの、長年の経験から、花粉症の薬「アレグラ」も服用していたため、薬の効果と思っていたこともある。

したがって、ことしは、まだ「アレグラ」を一錠も服用していない。にもかかわらず、一切の症状が発症していない。ということは、完全に花粉症を克服したといっても良いはずだ。

だけど、それは、塩が原因ではなく、高齢化により、単にアレルギー反応が鈍くなったせいかもしれないとも考えた。しかし、石原元東京都知事は70歳過ぎて発症したことを思い出し、否定できた。

魚の干物も、昭和50年代の塩ジャケなんかは、身の毛がよだつほど不味かったが、最近のチリ産塩ジャケなんて、結構美味い。現地加工だから、現地の塩、すなわち自然塩を使用しているためと思われる。ところが、荒巻鮭や、新潟の村上産塩引き鮭のように、国内加工のものは、相変わらず安価な工業塩を使用しているためか、昔の味はない。

梅干しも全く同様である。

高校の同級生の叔父さんが味噌製造業を営んでいるというので、この塩の話をしたところ、その叔父さんも塩の効果を十分認識しており、是非変更したいと試みたところ、価格競争にどうしても勝つことが出来ず、元に戻してしまったそうである。

その言い方は、自然塩の味噌はおいしいため、いつもの塩味の味噌汁にするには、少し多めに入れないとならず、不経済だという理由であった。味噌汁を味ではなく、塩加減でしか考えない消費者の、意識を変えることは容易ではないことがわかった。

一番分かりやすいのは、殻付きの生きているカキを洗わずに食べてみれば分かる、むいて水で良く洗ったカキは、どんなに味付けしようが、海水につかっていたカキの味にはかなわない。そこで、私は、殻付きのカキを入手したら、洗わずに食べていた。その美味なことったらないのだが、お店の人から、どうかやめて欲しいといわれてしまった。食中毒防止のためだそうである。それまで一度も食中毒にかかったことはないけれど、今は、控えている。

それなら、いっそ、きれいな海水を販売してほしいものである。洗ったカキに海水をかけて食べるのである。そんな海水があったらさまざまな料理にも応用できるのにと、本気で考えている。

最近ちょっと似たものを入手した。「ガゼ水」である。ウニを出荷するにあたり、洗った水である。これは美味かった。

人間は海から生まれた生物である。子供を宿す子宮の羊水もほとんど海水の組成そのものである。海のアサリの砂出しでさえ、工業塩では、ベロを出して死んでしまうことを経験した。

ほとんどのおかずに塩味がついているのは、単に塩化ナトリウムを求めているのではなく、海水を求めているからなのだ。それなのに、海の水は塩辛いからと、単に塩化ナトリウムだけで、味をつけているのが、現在の日本だ。

そのことに気がつけば、花粉症なんてなくなる。私が、身をもって証明した。

私は、花粉症を克服できたが、日本から花粉症を駆逐するには、どうしたらよいのだろうか。

まさか、日本中の人に、私のように、手作り味噌、「藻塩」の使用をさせることなどできない。私の体験談を花粉症に悩む人に話しても、「確かに自然食は体にいいのよね」で、終わってしまう。

自然食とか、有機野菜とかを薦めているわけではない。

ただ、工業塩を食用にすべきではないと、言っているだけなのだ。日本を除く世界の諸外国で、工業塩を食用にしている国は存在しないし、したがって、花粉症が社会問題になっている国も日本以外に存在しない。諸外国と同じにするべきだと言っているだけだ。その方法はいとも簡単。昭和45年に海水から塩を製造することを法律で禁じたように、工業塩を食用に供することを法律で禁じれば済む話である。

この問題を考えるとき、明治時代の「脚気」のはなしを想起する。

日露戦争で、戦争による死者より、「脚気」による死者のほうが多かったそうである。それは、兵士の食事は白米ご飯とおかずであるが、おかずは、自前であったことから、わずかのおかずで大量の白米を食べたことによる「脚気」であることが、後に明らかになるのだが、当時、ビタミンB1は知られていなかったため、現地から、食事の改善を政府に申し入れたところ、当時の陸軍軍医のトップであった「森、鴎外」から、病というものは、すべて病原菌によるものであり、素人が何を言うか、兵士は白米こそ愉しみにしているのだ、と激しく罵倒されたという。ところが、海軍は、それならばということで、洋食を採り入れた改善をしたところ、「脚気」は克服したという。この話は、渡辺 昇一氏が著書の中で明らかにしているが、そのなかで、「森 鴎外」の文学的功績はともかく、この裁断は、「国賊もの」と断じている。

工業塩の摂取が花粉アレルギーやアトピーの原因となるとの疫学的なエビデンスは存在しないが、現に私が、花粉症が克服できているのだから、認めてもよいのではないだろうか。

以前、「アロエのウソ」という本を読んだことがある。アロエの成分を分析したが、健康に有効であるとの証拠は何ら存在しないとのことであった。

この著者も「森 鴎外」と全く同じ轍を踏んでいるように思える。

さらに、私は、ダイポール活性水という浄水器を使用しているが、水道水が、名水に相当するおいしさに生まれ変わった。それは、フィルターではなく、強力永久磁石で構成する浄水器なのだが、磁力で水を浄化出来るわけがない、そんなことは、高校で化学を学んだ程度でも分かるはずだという批判があることも十分承知している。しかし、事実おいしくなったのである。しかしこれも、その差を感じ取れなければ、塩と同様に意味をなさないことは言うまでもない。

科学的なエビデンスではなく、効果こそ重視すべきではなかろうか。

人類は、古代からこのように効果こそ重視してきたが、コペルニクス以来、科学尊重のあまり、科学的に証明されないものを、あまりに軽視しすぎていないだろうか。

科学的に証明できないものは、まだこの世にはゴマンと存在する。もっと、謙虚にならなければ、大切なことに目をそむけることになりかねない。

                     以上