健康寿命

 

厚生労働省が健康寿命全国平均を発表したところによると、男は71.1歳、女は74.2歳だという。

長兄は79歳、次兄は77歳で亡くなったものの、直前まで元気で生活していた。

人間は誰でも死ぬ。死亡率は100パーセントなのだが、死ぬその日まで何とか元気で暮らしたいというのが、すべての人の願いである。

父は、秋の取り入れを終え、冬支度も済み、近所の人に、「今年もすべての仕事が終わった」と言っていた12月のある日、夜中に、寒いからと言って風呂を沸かしてもらい、入ったところ、いつまでも出てこないのを心配した家人が、やっとの事で風呂から出し、寝かしつけたところ、翌日になっても起きてこない、安らかな最期であった。

父は、85歳だったが、最高の死に方だったと、今でも思っている。

このような死に方をするにはどうすれば良いのかを、私はずっと考え続けてきた。

その結果、一つの結論に達した。それは、人間として、心身共に精一杯活動を続けることだと悟った。父は、農業を一人でやり続けた。農業ほど、心身共に活動するものはないと聞く。作付け計画のような長期的な判断から、雑草取り取りのような直接作業まで、あらゆる脳を駆使して考え、自己の判断で作業する。そして、それを維持するためには、適切な衣食住が必要になる。

父は、一時期病のため入院していた折に、病院食のような不味い食事では、ころされてしまうといって、病院に無断でタクシーを呼んで、帰ってきてしまったことがある。

この一件に、父が理想の死に方が実現できた秘訣が秘められていると、今でも信じている。

医療に頼らずに、自分の食べたいもの、やりたいことを貫いた結果であろう。

たしかに、体のある不具合を治すためには、薬が必要ではあるが、薬というものはすべからく、ある効果はあるかも知れないが、それはその他の副作用を犠牲にせざるを得ない、言い換えれば劇薬である。ごく一般的な風邪薬でさえ、熱を下げたり、セキを止めたりは、症状緩和の対照療法でしかない。熱を下げるなどは、本来、風邪ウイルス退治のための、生体の免疫反応であるので、風邪を治りにくくさえしているが、人間は当座の苦しみから逃れるために、薬にたよることになる。

高齢化すればするほど、体の異常は増加することは避けられない。それが、いつか死を迎える準備であるから仕方ない。しかし、心身共に少しずつ劣化して、ある日眠るように死を迎えるためには、全身がバランス良く劣化して行くことが求められるが、もし、薬により人為的に変えられてしまったら、望むべくもない。

人間には、自然治癒力があり、傷もいつかはふさがるし、風邪もいつかは治る。体に発生する異常は、基本的にこの自然治癒力にかかっている。

しかし、外科手術で、異物を除去する医療はまた別である。わたしは、若い頃、痔と、鼻茸の手術を経験したが、完全治癒して、今でも感謝している。異物の自然治癒はありえない。当たり前である。

人間、死ぬその日まで健康であるためには、この自然治癒力を極力高める必要がある。

そのためには、あらゆる健康増進方法が存在するが、最大は食生活であることは間違いがない。

人間は、本能がこわれた動物とも言われているように、自分で何が不足していることかを認識できるのは、水、空腹だけである。その他の必要な栄養素など不足していてもわからない。

動物だったら、一年に一回特別な場所の土をなめに行くなどの、本能が活きている。

兄が、膵臓ガンで入院している折に、食欲がないと聞いていたので、昔懐かしい味をと思い、ふる里を思い起こさせるような料理を何品か持って、見舞いにいったところ、ほとんど家の冷蔵庫にしまって置くように、奥さんに指示するのを見て、これでは、後いくらも生きられないと察したものだった。

それ以来、わたしは、食べることいや食べられることの重要性を悟った。食べられなければ、生体を維持できない。そして、生体が必要とする栄養素をバランス良く摂取することこそが、死ぬ日まで健康であることに、最も重要であることを悟った。

その結果として、少しずつ体力が衰え、高齢化にともないいくつかの不都合(たとえば、頻尿や尿漏れ)があったとしても、薬に頼ることなく、それなりに受け入れて生活してゆくつもりである。

しかし、バランスの良い食生活というのは、言うは易く、行うのは難しい。

昔、昭和30年頃の学校の授業で、人間は、一日に、牛乳一合、卵一個、肉100グラムみたいなことが書いてあり、一日にではなく、一年ではないかなどと思った記憶がある。現在でも、一日30種類、300グラムの野菜などと、どう考えても理想は達成できない。

しかし、考えてみれば、来月75歳の誕生日を迎える。りっぱに、平均健康寿命71.1歳をクリアした今、今までの食生活は間違っていない証拠でもある。

ただただおいしいものを食べたいという一心から、ほとんど外食することはなく、自給自足の食生活をしている。出来合いの味では満足できないためである。

休肝日だって、10年以上、した覚えがない。晩酌にビールを呑むとき、いつも、大げさでなく心から「生きていて良かった」と思う。

若くしてガンで死亡した友が、生前、ガンが見つかったのは、好きなビールがおいしく呑めなくなって、おかしいと思い検査したところ、胃がんで手遅れだったと言っていたという話を思い出した。

ぜいたくではなく、おいしい食生活こそが、これからの余生を送る基本であろう。