文学読解力

 私の高校時代の同窓生で白井君という友がいる。最近、高校時代の同年nゴルフコンペで知り合って、いろいろメール交換などするようになったのであるが、どう考えても、なまじの理解力ではない。こちらの言いたいことの裏の裏まで理解して、適切な返信をしてくれる。

 とても文章では表現できないから、言葉足らずのところまで、しっかり理解してくれているのが、よく伝わってくる。このような経験は過去にないので、一度、宴会の席で、信じられない読解力は、高校時代では、国語の学力は抜群であったのではないかと、聞いてみた。すると、理数系は今一だったけどと謙遜していた。(後で知ったが東大卒とのこと)

 それでは私の読解力はどうかと、今年の大学共通一次試験の、現代文の部分を、新聞紙上で拡大鏡を片手に取り組んでみた。大人になった今では、大学入試問題なんて、古文ではなく現代文なら、満点をとれるのではと、タカをくくって取り組んでみた。

 ところが、なんと67割しか正解が得られなかった。

 余りのショックに、受験テクニックに慣れていないせいかもしれないと思い、現代文受験参考書を購入して、例題にチャレンジするも、めったに満点をとることがかなわない。

 納得出来ずに、次から次へと参考書を購入し、10冊ほどやってみたが、満点は数回しかない。

 いまでは、書店で、新たな現代文参考書がなくなってしまった。

 たくさんの現代文問題の例題は、芸術、文化、文明、哲学、政治、経済、小説、詩歌など実に多岐にわたり、どの例文をとっても実に味わい深い文で、そんな文を日常生活の中で見つけることはきわめてまれである。しかも、問題を解くという意識があるので、熟読すると、また、感動もひとしおである。最近では、趣味のひとつに加えてもいいかなという気さえする。

 最近取り組んだ例題は馬場あき子氏の鬼についての評論文であった。

 桃太郎の鬼退治については、子供のころから、鬼ヶ島で家族なかよく生活していたところへ、桃太郎がやってきて、角が生えていたり、無骨な風貌であった故に、退治されてしまい、金銀財宝も持ち去られてしまった。かわいそうにと思っていたのだが、このような文章と出会ったのは、初めての経験であった。そして、大人になった今、鬼とはそもそも何だったのか考えさせられた。そして、現代の鬼とは何かについても考えてみた。